なぜ一つの通過点にすぎなかったのか
先日“ミドル”に関連する文献を探していたら、神戸大学の金井壽宏さんが、1996年に書いた論文に以下のような記述を見つけた。
「ミドル・マネジャーというのは、一方で、組織内の階層上のミドル、つまり中間管理職の立場にあるひとをさすばかりでなく、他方で、人生の途上で壮年期(もしくは中年期)、またはキャリアを歩む軌跡の上でも、キャリア中期を過ごしつつあるひとである。日本の産業社会におけるミドルの問題を議論する際に、これまで欠けていたのは、後者の視点である。」
人生80年時代。大雑把に言って、その中の20代初めから、60代初めまでを仕事に従事する期間だとすると、多くの人にとって、40代の前半、つまり40~45歳ぐらいは、まさに人生とキャリアの同時折り返し点である。今から20年近く前に、こうした感覚でミドルという言葉を捉えることを考えていたとは、さすが金井さんと感心した。
実際、“ミドル”が話題になるとき、ミドル・マネジメントの議論になることが多い。例えば、ミドルこそが組織変革の要であるという変革ミドル論や、ミドルがトップとボトムをつなぎつつ新たな知識創造を行う、ミドルアップ・アンド・ダウンマネジメントの考え方などがある。また、海外でも、ヘンリー・ミンツバーグという人が丁寧に調べたように、ミドル・マネジャーは多様な機能を果たしてきたことがわかっている。
また最近は、こうしたミドルの機能が低下している、またはミドル・マネジャーが以前のような機能を発揮しなくなった、という議論もよく聞かれる。“ミドルの危機”というとき、この問題が頻繁に話題になることが多く、例えば、経団連が2012年5月に発表した報告書は、「職場の司令塔であるミドルマネジャーが日々の業務に追われて、本来求められる職場全体の管理や、部下指導・育成が疎かになることは、企業の現場力や人材育成力を低下させ、企業競争力の減退を招きかねない重大な問題である」と結論づけている。
それに対して、“ミドル”をキャリアや人生の真ん中にある人という意味で理解しての議論がどこまでされてきただろうか。あまりないように思う。
なぜなのだろうか。それは、ミドル期が多くの人にとって、一つの通過点であり、そこで自分のキャリアや人生について考え直すということを要請されることがなかったからだと思われる。言い換えれば、人生やキャリアのミドル期というのはそれほど大きな問題ではなかったのである。多くの人にとって、単にミドルまでのキャリアや人生を延長していけば、それで事足れる状況があり、この時点で自分のキャリアや人生について一度考え、そこからの生き方や働き方を考える必要はなかったのである。