現場と経営の板ばさみにあう中間管理職……ミドルという言葉が前向きに語られなくなって久しい。現在のミドルの衰退は組織や経営にも責任があり、その復活が企業繁栄の鍵を握る、と筆者は説く。
なぜ「ミドル」のイメージは失墜したのか
「ミドル」という言葉を聞いたとき心に浮かぶのは、いいイメージだろうか、悪いイメージだろうか。昔はいいイメージも多かった。「ミドル・アップアンドダウン・マネジメント」などという言葉で表現されるように、ミドルは経営からの方針や戦略と、部下のもつ現場情報を組み合わせ、そこから自部門の次の展開に関する戦略をたて実行する。また、目標の達成過程で、部下の意欲をうまく保ちながら、同時に部下を育成する。部下への配慮を怠らない、人間性あふれるリーダーの姿がそこにはあった。
そして、しばしばその過程で、自分が常日頃考えているアイデアを、そっと戦略に盛り込んで組織変革を目指すのである。実際、野中郁次郎氏が描く知識創造型経営の中核は、そうしたミドルであり、そうした描写がさほど違和感なく受け入れられるほど、企業の競争力が健全なミドルに依存していた。
だが、これに対して、最近はマイナスのイメージが多いように思う。トップダウンで指示を出す経営と、権限委譲を求める現場との狭間で苦労するミドル、自らの成果ノルマと部下の管理監督を上手にバランスできずに苦悩するミドル。または経営による方向性提示をそのまま部下にフォワードする“転送”ミドル。
さらには部下育成のための余裕がなく、困ってしまっているミドル。職場に増えた非正規社員とどうコミュニケーションをとっていいかわからず困っているミドル。ミドルという言葉からポジティブな要素が大きく失われた。
こうした状況にいたった原因は何なのだろうか。しばしば指摘されるのは、ミドル自身の弱体化だ。ミドルの資質や能力、意欲が低下したという議論である。確かにこの側面も見逃せないのかもしれない。しばしばこうした主張に基づいて、リーダーシップなどに関する、一層の研修や育成が一つの解決策として展開される。
でも本当にそれだけなのだろうか。本当にミドルの能力が低下したことが主な原因で、ミドル研修を行うことが主な解決策なのだろうか。
私にはそうは思えない。なぜならば、現状を見ると、ここにあげたようなミドルの姿は、必ずしもミドルのもつ能力の低下によるのではなく、むしろそれよりも、ミドルの置かれている状況が変化し、ミドルの力を削いでしまっているように思われるからである。
ここしばらく多くの日本企業で行われてきた組織や経営改革、さらには新たな人事制度の導入が、現在ミドルが示す一見能力不足かのように見える現象の背後にあるのではないだろうか。