グローバル化で、盛んになる企業の合併・再編。日本企業がこれまでどのような合併劇を経てきたのか。過去30年の大きな流れをまとめた。

バブル崩壊後の「失われた10年」は、80年代とは対照的に、守りの再編や合併が目立った。象徴的なのが銀行業界だ。90年の三井と太陽神戸の合併を皮切りに、それまでの6大銀行(三井、住友、三菱、富士、三和、第一勧銀)が、現在までに、3つ(三井住友、みずほ、三菱東京UFJ)に集約された。

ただ、やり方に問題があった。間接金融ではなく直接金融の機能を強めるべきだった。証券業務に力を入れてドイツ銀行やBNPパリバのようなユニバーサルバンクを目指すべきだったのだ。理想的な形は日本興業銀行と野村証券が一緒になることだった。興銀は89年末には株式時価総額が世界トップで人材も優秀。野村は何しろ規模が大きかった。両社の合併で最強のユニバーサルバンクが出来上がっていたかもしれない。そうなれば日本企業への投資が活発になり「失われた10年」はもう少し短くて済んだだろう。

ところが興銀が実際に選んだのは第一勧銀と富士銀行で、00年にみずほ銀行が誕生したわけだが、それは、グローバル競争に生き残るため、まずは規模(クリティカル・マス)の確保を優先した守りの合併だった。

現時点で、それが成功しているかといえば否だろう。みずほ銀行がグローバルに活動しているとはとても言えないし、最近も問題になったシステム障害を何度も起こしている。統合によって、機能ごと新しく生まれ変わるべきだったのに、機能はそのままで規模だけを大きくした感が否めない。

製造業も後ろ向きの合併・再編を繰り返した。化学業界では、94年に三菱化成と三菱油化が合併し三菱化学が、97年には三井東庄化学と三井石油化学工業が合併し三井化学が生まれている。いずれも過大な設備や物流などの合理化効果を狙った。自動車業界では、99年、業績悪化に苦しむ日産がルノーと資本提携を行い、カルロス・ゴーンを社長として迎え入れ、実質的にルノー傘下に入ったのが象徴的だった。

この時期、こうした合併・再編を後押しする法改正もあった。97年に独占禁止法が改正され純粋持ち株会社が解禁されたのだ。結果、買収や合併がやりやすくなり、経営の合理化や新規事業へのすばやい進出が可能になった。

それまでも事業持ち株会社という形で、事業会社が子会社を所有することは可能だった。ただ、戦前の財閥のように、所有だけを目的とした純粋持ち株会社は認められなかったわけだが、それが認められるようになったのだ。これは、独禁法を運用する公正取引委員会が法の運用方針を国内基準から国際基準に切り替え始めたことを意味する。言葉を変えれば、そこまで日本企業が追い詰められたのであり、その流れは現在さらに強まっている。この転換がなかったら、後に実現した大型合併も認められなかった公算が強い。