日本は生き残りをかけた「攻め」の合併時代に突入した。早期に合併効果を出すために人事制度が一新され、リストラが断行される。そのとき社員の処遇はどうなるか……。

合併「成功と失敗」の分かれ目

「合併を統合と言い換えたり、対等合併などとありえないことを言っていること自体が日本的。そんな気持ちで合併がうまくいくわけがありません。強い会社が主導権を握り、一気にリストラの実施や人事制度やポストを一新する作業を進めなければ、ゼロサムの世界では生き残れません。今は新日鉄や第一勧銀の合併時代とは違うのです」

こう語気鋭く語るのは2006年に合併したIT関連企業の人事部長だ。

確かに合併を取り巻く環境は大きく変わってきている。旧八幡製鉄と旧富士製鉄の合併で新日本製鉄が誕生した1970年の日本は成長期であり、合併目的も規模の拡大による国内市場でのシェア拡大にあった。合併後は倍増した社員やポストを削減することもなく、旧2社の組織は維持された。人事は社長から役員、部・課長、係長に至るまで見事なまでの“たすきがけ”で維持され、旧2社の社員の人事管理も旧社の人事部が完全に掌握していた。人事異動も旧八幡の社員は旧八幡の製鉄所や系列会社にしか異動しないという完全な2系列管理が行われ、人事交流もなかった。

合併の成否を握るのは競争に強い筋肉質の体質を構築するためのいち早い組織風土や人事の融合にある。

じつは経営破綻に追い込まれた日本航空にも同じような状況が見られた。02年に日本エアシステム(JAS)と合併した日本航空は、明らかに日航の吸収合併だったにもかかわらず“対等”を標榜し、持ち株会社の傘下にJAS主体の国内線会社と日航主体の国際線会社をぶら下げた。しかも、合併後もリストラやコスト削減策は実行されず、給与もJASが日航よりも高かったにもかかわらず、両社の賃金制度が温存された。

そのため両社の社員が交じる持ち株会社では“珍現象”も見られたという。

「役職者は部長が日航出身なら次長はJAS出身、課長は日航とたすきがけでやっていましたが、出退勤の時間を除いて給与の仕組みや諸手当がまったく違っていました。にもかかわらず人事考課は直属上司が行う。部長はよくわからないJASの考課表に基づいて次長を査定する。次長は日航の考課表で課長を査定するという具合です。今から思えばめちゃくちゃでしたね」(日航の労組関係者)