リストラもなければ、収入やポストも保証される。そんな夢のような合併が高度成長期にはあった。その典型が八幡製鉄と富士製鉄の合併で1970年に誕生した新日本製鉄だ。
合併後、人事部門は旧富士主導の第一人事室と旧八幡主導の第二人事室の2つに分かれ、同じ会社内でまったく異なる人事調整が7年間も続いた。実際にリストラもしていない。合併で本社の社員数は倍増したが、部・課を増やして降格することなく吸収した。たとえば販売部門を販売管理第一部と第二部に分けたように、全体で40の部の部長ポストを旧社で20ずつ分け合った。
社長ポストは旧社から交代で出す“たすきがけ”人事は今も変わらないが、役員ポストも常に旧社同数になるように運営された。さらに部長以下の人事も、部長が旧八幡出身なら筆頭の第一課長は旧富士、第二課長は旧八幡、第一係長は旧富士、第二係長は旧八幡という具合に、見事なまでの「クロス人事」体制を敷いた。
クロス人事を運用すればいずれ部長が交代し、部下の組み合わせも代わる。だが、部長が取締役に就任する花形部署だけは旧社で平等に分け合い、部長も旧社から連続して出すように運用していた。たとえば薄板販売部は77年までに3人が交代しているが、すべて旧八幡の出身。そのカラクリは課長人事にある。薄板販売部には5課あるが、エリート課の自動車薄板課長と薄板第一課長を旧八幡出身が独占し、他の課を旧富士と旧八幡で分け合う仕組みになっていた。
つまり花形部署の課長レベルの人事によって役員が旧社同数になるように調整されていたのである。
この構図は第一銀行と勧業銀行の合併で71年に誕生した第一勧業銀行も同じである。