グローバル化で、盛んになる企業の合併・再編。日本企業がこれまでどのような合併劇を経てきたのか。過去30年の大きな流れをまとめた。
00年代の合併・再編は攻めと守りが交錯している。例えば、12年10月に実現した新日鉄と住友金属の統合に象徴される鉄鋼業界。こうした大型合併が行われるようになったのは同業他社を買収することで世界一になったミタルの存在が大きい。同社に呑み込まれないための、いわば守りの合併といえるだろう。同時に、日本の鉄鋼業界は成熟産業でありながら順調に成長しており、さらに一段上を目指す攻めの面もある。
食品業界の再編もそうした要素が混在している。それぞれの企業は国内では順調に成長しているが、少子化で内需が落ち込んできたため、アジアに出ていかざるをえない。その場合、食品はブランドが非常に大切なので、ブランド力のある地元の食品企業を買収しなければならない事情があるのだ。
一方、規模を確保する合併が目立つのが製薬業界である。収益の要となる新薬の開発は「数打ちゃ当たる」確率論の世界で、投資のための豊富な資金が必要。そのためにはある程度の規模が必要となり、合併が盛んに行われた。
銀行に引き続き、保険業界でも再編が進んだ。とはいえ、損害保険と生命保険は対照的だ。損保の場合、トップ企業の東京海上火災が積極的に動き、大手3社に統合されたが、生保の場合、日本生命がそれほど動かなかったので、統合はさほど進展していない。
合理化目的の守りの要素が強かったのが百貨店業界である。対等合併と称しても、明らかに強弱があった。三越と伊勢丹では伊勢丹、大丸と松坂屋では大丸がいずれも強者だった。
さらに、海外のファンドが、事業面では好調なものの株式時価総額が低い企業に目をつけ、買収を仕掛けるケースが増えてきた。
法制度の面では、証券取引法が改正され、00年3月期から親会社や子会社、関連会社の財務内容を結合させる連結決算がスタート。これにより、個々の会社の業績がより厳しくチェックされ、本社の悪い業績をカバーするために業績のよい子会社を統合するといった動きが活発になった。グループ内で何を統合し、何を分離させておくか。戦略が必要になったのである。
政治面で特記すべきは01年の小泉政権の成立だ。経済学者・竹中平蔵を大臣にすえて、いわゆる規制緩和路線を推し進め、郵政民営化を成し遂げた。その延長戦上でアメリカ流の市場原理主義がもてはやされ、株主価値の向上という名目のもと、企業の売買に関する後ろめたさというものが払拭された。
ところがこの流れは長くは続かなかった。水を差したのが06年のライブドア事件だ。同社社長の堀江貴文がニッポン放送という有名企業に買収を仕掛け、実体以上の自社のイメージをつくり出して株価を上げた。会計の粉飾まで行ったので犯罪になったが、アメリカではよくやられている手法だった。