グローバル化で、盛んになる企業の合併・再編。日本企業がこれまでどのような合併劇を経てきたのか。過去30年の大きな流れをまとめた。
1980年代、日本経済は絶好調で当時のG7の中で最も高い成長率を誇り、強い経済を背景に攻めの企業再編・合併が行われていた。キーワードは2つある。
ひとつは85年9月のプラザ合意。これにより為替相場が円高に大きくシフトし輸出が不利になる一方、現地生産が有利になった。もっとも自動車業界は、日本車輸出の増大に怒ったアメリカをなだめるべく81年から対米輸出自主規制を行っており、現地生産の動きは以前からあった。例えば、スズキおよびいすゞとGMとの資本提携(81年)や、トヨタとGMによる合弁会社ヌンミ設立(84年)である。
円高は低金利政策と相まって日本国内にバブルを生み、多くの日本企業が潤沢な資金を背景に海外企業を買い漁った。その象徴が89年の三菱地所によるロックフェラー・センター買収だ。
こうした形で日本企業が積極的に海外進出する一方、外資の日本撤退の動きもあった。三菱石油は株式の50%を外資が握っていたが、この時期、外資が手を引き民族系企業になった。84年に日本石油との業務提携が実現したのもそれがあったからだ。99年には日石三菱が誕生、さらに合併が繰り返され、2002年の新日本石油、10年のJXHDにつながっていく。
もうひとつのキーワードは規制緩和だ。これはレーガン(米)、サッチャー(英)、コール(独)、中曽根(日)といった西側首脳が推進した流れだ。日本では電電公社や専売公社の民営化が行われ、それぞれNTT、JTとなった。その総仕上げが87年の国鉄の分割・民営化で、JRが誕生した。
こうしたなか、今に至るまで再編や合併が行われていないのが電力、ガス業界。これは2つの業界で規制緩和が十分には行われていないことと関係がある。一時、アメリカの総合エネルギー企業、エンロンが日本への進出を虎視眈々と狙っていたことがあり、同社が不正経理の発覚で破綻しなければ大きな再編が起きていた可能性がある。
総合商社も同様だが、理由が違う。上位は無風状態で、今でも三菱、三井、住友の3大財閥の名前が独立で残る珍しい業界。早くから海外に進出し、グローバル競争に打ち勝ってきたため、規模が大きく業績も安定しているので合併や再編の必要性が薄いのだ。