「そんなものを買い取っても、使いようがない」と思ったが、大手都銀の間で激しい争奪戦が生じて、困った大蔵省に「おたくが買ってくれれば、丸く収まる」と頼まれる。でも、ただ買収しても、仕方ない。そこで、東海の証券現法と合併させ、現法が銀行免許も手に入れることを考えた。

銀行免許で、何をするか。ちょうど、裁定取引部隊が「デリヴァティブ(金融派生商品)をやりたい」と言ってきた。当初は「デリヴァティブって何? そんなよくわからないものは、やってはいかん」としていたが、現法の社長が電話で副頭取を説得したらしく、副頭取に「少しやらせてやってくれ」と頼まれた。やむを得ず、頭取に説明にいくと、頭取は「大丈夫か?」と心配する。「まあ、よくわからないところはありますが、やらせるのは少しです」と応じると、「わかった。その代わり、お前がいけ」となった。

リスクは、すぐに膨らんだ。秋になると、英ポンドがヘッジファンドに売られ、急落した。「ベルリンの壁」の崩壊で、旧東独への投資が増えたドイツで、金利が上昇してマルクが買われた。欧州の通貨統合へ準備が進むなか、ポンドも「つれ高」となる。すると、ヘッジファンドは「英国の経済が弱いのに、ポンドは高すぎる」と売り浴びせ、値が下がったところで買い戻し、差益を稼いでいく。

中央銀行のイングランド銀行は、金利を上げた。ポンドの価値を上げて危機を脱するためで、1日に2回、計5%幅も上げたこともある。手は打ったが、1日で10億円を超える損が出る。取引を止めて、1カ月で処理した。

翌年には日本の親会社が喜ぶほどの利益を出したが、94年には米国の金融引き締めを機に市場が仮死状態となり、落ち込んだ。シチーに約5年、大きな波を何度も経験していくなかで、リスク管理の感覚が研ぎ澄まされていく。