――それは鬼気迫るという怖さではないですよね。

【助川】昔、春樹がアーヴィングにインタビューしたときに、「暴力というのは象徴的なもののような気がする。あなたの作品もそうですよね」と問いかけたら、アーヴィングが、「いや、悲しいことにアメリカ合衆国ではこの暴力は現実だから」と答えて、ちょっと春樹が対応に困っていることがありましたけど、そういう意味で目の前で本当に人が殺されたりするのを自分の目で見ているわけではないんですね。そういう剥き出しの暴力とは別の、人間の深層にある闇を見たいという欲求が人一倍強いのだと思います。それが彼の書くものに噴出している感じはします。

――小説家がみんな自分の書いてることを実際に見ているとしたらほんとうに怖いですけれども。

【助川】この本でも書きましたけど、90年代の幻冬舎系の文学だと、わりと本当に陰惨な場面を見ている作家がいますよ。田口ランディとか、梁石日とか。こういう作家と村上春樹は一線を画していますね。

日本文学研究者 助川幸逸郎
1967年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、横浜市立大学のほか、早稲田大学、東海大学、日本大学、立正大学、東京理科大学などで非常勤講師を務める。専門は日本文学だが、アイドル論やファッション史など、幅広いテーマで授業や講演を行っている。著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『可能性としてのリテラシー教育』『21世紀における語ることの倫理』(ともに共編著・ひつじ書房)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(プレジデント社)などがある。ツイッターアカウント @Teika27
(撮影=山本詩乃)
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