ハルキストも納得のイシグロ受賞
今年のノーベル文学賞の発表を、私は東京・千駄ヶ谷の鳩森八幡で聞いた。村上春樹受賞の瞬間を、作家にゆかりの神社で祝う。そういう趣旨のイベントが催され、私はゲスト・スピーカーのひとりとして招かれていた。
村上春樹がかつて経営していたジャズバーはここから近く、春樹のエッセイにも鳩森八幡は登場する。この社と春樹のつながりは深い。
やがて会場に、カズオ・イシグロの受賞が告げられた。春樹の戴冠を待ちうけていた人びとの反応は、意外なほど好意的であった。
「イシグロが今年獲るとは思わなかったけれど、このひとのもとにノーベル賞が行くのは悪くない」
あちこちから湧きあがった、「ああ」とも「おお」ともつかないどよめきには、そんなニュアンスが漂う。
「春樹さんを好きなひとには、イシグロ・ファンも多いので、お集まりのみなさんも喜んでいらっしゃるのではないでしょうか」
私がそう述べると、春樹受賞を祝うために配られていたクラッカーが、肌寒い夜の神社でいっせいに音を立てた。
私自身、カズオ・イシグロの名前を耳にしたとき、目が潤むほどの感激をおぼえた。どうしてイシグロの受賞がうれしかったのか。すぐにはわからなかったが、翌日、知人から届いたメールが理由を教えてくれた。
「イシグロにノーベル賞が与えられたということは、牢屋に入らなくてもこの賞を獲れる、というメッセージですよね」
知人のメールにはそう書かれていた。
英国のブックメーカー「ラドブロークス」が、今年もノーベル文学賞の予想を発表している。そこで最有力候補とされていたのは、ケニアのグギ・ワ・ジオンゴであった。彼は70年代に、反体制的な作品を発表したために拘禁されている。
ソビエトのソルジェニーツィン、中国の高行健……、このタイプの「言論が抑圧されている国で、政府批判をおこなった作家」にスウェーデン・アカデミーは好意的だ。「わが身を危険にさらしても自由のために闘う姿勢」は、文化や地域の隔たりを越えて評価を得やすい。
だが、今年のノーベル文学賞受賞者は、グギ・ワ・ジオンゴではなくカズオ・イシグロだった。イシグロは、日本生まれの英国人。過激な政治運動に身を投じた経歴もなく、文学的著述に専念してきた。
これはおそらく、昨年の反動だろう。周知のとおり、2016年の受賞者はボブ・ディラン。何を「文学」とみなすのか、世界にむかって問いかける大胆な選考だった。
ディランは、受賞後数週間にわたり沈黙。授賞式にも出席しなかった。目下のところ、「主催者が毛色のかわった受賞者に振りまわされた印象」は否めない。