村上春樹は新しい「世界文学」を開いた

私の知っている編集者によると、アジアでも欧州でも、ブックフェアの会場に「村上春樹特設コーナー」が設置されているという。カズオ・イシグロは、そこまで大々的に売り出される作家ではない。

イシグロ・ワールドと真剣に向かいあうには相当な覚悟が要る。そこまでの負荷を、春樹は読者に求めない。にもかかわらず、私たちの生活実感の深い部分に春樹は触れてくる。

20世紀は世界的に、文学に特別な地位が与えられている時代だった。哲学者たちは文学を論じることで、社会や人間について語った。今日、メディア環境は激変し、文学にそうした「知的先鋭性」をもはや期待されない。

絵画賞も音楽賞もないノーベル賞に文学賞があるのは、20世紀における文学の独特の位置づけとかかわっている。

村上春樹は、日常の隣に「存在の不自由」を接続させることで、新しい文学に向けて扉を開いた。それによって彼は、国境を越えて幅広く読まれるに至った。

ノーベル賞は、20世紀的意味あいを文学に求める。ディランの受賞も、音楽を包摂することで、文学という領域の特権性を維持する試みであった。

ということは、「等身大の文学」を拓いた春樹に、ノーベル文学賞が与えられる公算は低い。そのことを、村上春樹はむしろ誇るべきだろう。

(写真=ZUMA Press/アフロ)
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