全国でも珍しい“女性ウナギ職人”として腕を振るう上田智子さん。しかしその道のりは平坦ではなかった。もともとは事務職にしか就いたことがなく、魚をさばいた経験すらゼロ。転職先で師匠を得るも職場の倒産で600万円を失い、独立後も「ポケットに100円しかない」ほど生活は苦しかった。それでも彼女は、焼き台と包丁を抱えて職人の世界に飛び込み、やがて“人生を変える出会い”を果たす。誰もが無理だと思った職人の道で、なぜ彼女は生き残れたのか。フリーライターの川口イオさんが描く――。
ウナギ職人・上田智子さん
筆者撮影
ウナギ職人の上田智子さん

絶望の中で突然あらわれた「神さま」

「儲かりまっか?」

大柄な見知らぬ男性が、ウナギの加工を手掛ける「うな智」の事務所の扉を開けて入ってくるなり、そう尋ねてきた。

「うな智」の代表、上田智子さんは、「なになに? 大きい車ベタづけで怖い……」と怯えた。上田さんは全国でも珍しい女性のウナギ職人で、詳細は後で触れるが、当時、ひとりで職人の仕事をしながら自分の会社を経営していた。

男性が訪ねてきたのは、「ポケットに100円しか入っていない日もありました」という絶望的な状況を乗り切るために、税理士と切羽詰まった打ち合わせをしている最中だった。

「今、来客中なんですけど」と応えると、男性は「それなら、待っとくわ」と事務所の駐車場に停めてあったレンジローバーに戻っていった。税理士が帰った後、上田さんはその男性と向き合った。

「変なおっさん入ってきたと思ったやろ」と笑う男性は、自己紹介を始めた。なんと、売り上げ100億円を超える大阪の某企業の創業者だという。

「ちょっと教えてほしいねん、いろいろ。いま65やねんけど、これから10年間、飲食やりたい思って。うちの母親がすごいウナギが好きやから、ウナギやりたいんですわ」

「大丈夫やで、僕と知り合ったから」

上田さんは戸惑った。話を聞く限り、身分に嘘偽りはない。とはいえ、なぜなんの縁もない自分のところに、いきなり現れたのか?

こちらの疑念など気にする様子もなく、男性は「時間ある?」と聞いた。その問答無用の勢いに気圧されるように頷くと、男性は上田さんと、上田さんの会社のサポートをしていた男性を車に乗せ、自身が若者に経営させているという鮨店に向かう。男性は気さくで、初対面とは思えないほど打ち解け、「うな智」の苦境も話した。食後、加工場まで送ってもらった別れ際、その男性はこう言い残した。

「大丈夫やで、僕と知り合ったから」

現在、兵庫県西宮市で「うなぎ心斎亭」の取締役を務める上田さんが、後に「神さま」と呼ぶようになる恩人との出会いだった。

うなぎ心斎亭
筆者撮影
兵庫県西宮市にある「うなぎ心斎亭」。上田さんが取締役を務めている