TOPIC-4 人々が選手に求める「強い効能」
2011年のベストセラーとなった長谷部誠さんの『心を整える。——勝利をたぐり寄せるための56の習慣』は、その帯(私の手元にあるのは2011年5月の第10刷です)に「プロサッカー選手、初の自己啓発書」と銘打たれていました。スポーツ関連書籍は自己啓発書「のように」読まれることがあるという曖昧な話ではなく、明確に自己啓発書「として」世に送り出された同書は、発売から半年ほどの間で100万部を超える大ベストセラーとなりました。
長谷部さんは同書の「まえがき」で、自らの「キーワードは『心』です。僕は『心』を大切にしています」と述べます。長谷部さんにとっての「心」とは、「車で言うところの『エンジン』であり、ピアノで言うところの『弦』であり、テニスで言うところの『ガット』」なのだと述べます。このような比喩を用いて長谷部さんは、自分にとっての「心」とは強く、折れないようにするものではなく、「調整する」「調律する」ように扱うものだと述べます。「心をメンテナンス」し、「常に安定した心を備えることによって、どんな試合でも一定以上のパフォーマンスができるし、自分を見失わなくて」すむ、というわけです(9p)。
同書で具体的にとりあげられる最初の習慣は、「意識して心を鎮める時間を作る」です。静かな部屋で一人横になり、息を整えながら全身の力を抜き、「ひたすらボ~ッと」する、あるいは「頭に浮かんできたことについて思考を巡らせ」るなどして、「練習と緊張でざらついた心をメンテナンス」する時間を、「一日の最後に必ず30分間」作るというのです(12-13p)。これは京セラの創業者、稲盛和夫さんの本から影響を受けたと述べられていますが(14p)、連載第8テーマ「手帳術」の回でとりあげた藤沢優月さんが「灯台の時間」という言葉で述べた「毎日1時間、純粋に自分のためだけの時間」(『夢をかなえる人の手帳術』92p)をもとう、という言及とほぼ同じだといえます。
3番目にとりあげられる習慣は「整理整頓は心の掃除に通じる」です。試合に負けた次の日などの「心がモヤモヤしたとき」(21p)に、整理整頓を行うことで、心の掃除を行うことができるというのです。これは前回テーマの「掃除・片づけ」で扱った近年の片づけ本に近い発想だといえます。
他にも、デール・カーネギー『人を動かす』、白取春彦訳『超訳 ニーチェの言葉』、『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』、松下幸之助『道をひらく』、姜尚中『悩む力』、斎藤茂太『幸せを呼ぶ孤独力』『「心の掃除」の上手い人 下手な人』、『勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド』等々、長谷部さんが影響を受けた書籍として紹介するものの多くは自己啓発書でした。長谷部さんの著作は、こうした愛読書の傾向、また上述したような他の連載テーマとの内容重複からもわかるように、「プロサッカー選手、初の自己啓発書」と銘打つだけの内容をもつものだといえます。
拙著『自己啓発の時代——「自己」の文化社会学的探究』では、脳科学者の茂木健一郎さん、経済評論家の勝間和代さんのような著名な人物、あるいは岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』、水野敬也『夢をかなえるゾウ』といったメディアミックス的な展開を果たした大ベストセラーを「アクセス・ポイント」という観点から解釈していました。つまり、こうしたカリスマ性のある人物や話題になった著作は、自己啓発書に興味がないような人を自己啓発の世界に導き入れ、慣れ親しませるという役割を果たしているのではないか、そしてそのことが今日の自己啓発書の好調を下支えしているのではないかという解釈です(拙著71p)。
長谷部さんもこのような「アクセス・ポイント」として捉えられるのではないかと考えます。サッカー日本代表のキャプテンであり、海外でも活躍する長谷部さんのタレント性を通して、その活躍の物語とともに自己啓発的な物言いが人々に受け入れられていく。そしてスポーツ選手が自己啓発的な物言いをすることも受け入れられていく。こうした役割を長谷部さんの『心を整える。』は果たしているのではないかと考えています。