TOPIC-1 自己啓発書と就職対策本が似る理由

今回のテーマは「就職活動」です。就職活動と自己啓発がどう関係するのか、と思う方もいるかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。特に大学生の就職活動においてその傾向は顕著ですが、その活動に際して勧められる作業は、まるで自己啓発書に書いてあるようなことなのです。

自分自身を振り返る「自己分析」をしよう(ときには「本当の自分」を見つけよう、という物言いがなされることもあります)、分析を経て自分の「やりたいこと」をはっきりさせよう、将来の「キャリアビジョン」を描こう、人と違う「自己PR」の仕方を考えよう、等々。自分をみつめ、将来を描き、自分をよりよくみせようとするためのこうした作業は、拙著『自己啓発の時代』でとりあげた他の自己啓発的なメディア、そしてこの連載でとりあげてきた自己啓発書と重複するものだといえます。

マニュアル本を読んでこれらに真剣に取り組む、自分なりの方法でやってみる、儀礼的に少しだけやってみる、まったくやらない等々、向き合い方はさまざまにありうると考えられます。しかし、少なくない学生が、程度差こそあれ、先に挙げた自己啓発書然とした作業にかかわっていることは間違いないはずです。その意味で、就職活動という営みもまた、前回述べたスポーツ本と同様の、自己啓発の世界への「アクセス・ポイント」なのです。

拙著『自己啓発の時代』でも書いたことですが、就職活動本の基本的なメッセージは、自己分析しよう、やりたいことをみつけよう、業界・企業研究をしよう、志望動機や自己PRを中心としたエントリーシートの書き方を身につけよう、面接での効果的な自己PRの仕方を身につけよう、といった学生個々人が行うべきことの勧めです。そして、就職活動がうまくいかないとすれば、こうしたことがしっかりできていないからだ(自己分析が甘い、業界研究が甘い、自己PRが下手だ等々)という、いわば「自己責任」の論理で対策本は貫かれています。

もちろん、就職活動の成否について、学生個々人の資質や行いがまったく関係しないとはいいませんが、それだけでは説明がつかない部分もあるはずです。たとえば、不況によってそもそもの求人数が少なくなれば、同じように活動しても、内定がもらえる可能性、志望通りの企業に就職できる可能性は大きく変わってきます。

たとえば、リクルートワークス研究所が毎年出している大卒求人倍率(算出方法はリンク先11Pを参照 http://www.works-i.com/?action=repository_uri&item_id=1100&file_id=13&file_no=1 )をみてみると、バブル絶頂期といえる1991年3月卒者に対する倍率は2.86倍、そこから年々下落して1996年は1.08倍、1998年には持ち直して1.68倍、2000年には再度下がって0.99倍、2008・2009年には再び持ち直してともに2.14倍、しかしリーマン・ショックを受けてか再度低下して2014年は1.28倍、というように、大きく変動を繰り返しています。

もちろん企業規模別、業種別の動向となるとまた異なってきますが、概していえば、年によって就職活動の「出口」は大きくなったり小さくなったりしているといえるはずです。就職活動の成否はこのような、学生個々人のあずかり知らないところで左右されている部分もあるということは、少し考えてもらえばわかっていただけると思います。

私が考えてみたいのは、こうした学生個々人のあずかり知らない状況、いわば社会の側の変化に関する情報が、就職活動本にどの程度、またどのように入り込んでいるのかということです。特に、先に述べた2010年以後の求人倍率の再度の悪化、ここ2年ほどの間に広まってきたきたソーシャルメディアの活用(企業の採用情報、学生の個人情報の発信を主とする)、さらに以下で述べていく、就職活動のあり方自体に問題があるのではないかとする議論の盛り上がり――つまり2010年代における新たな動向は、どのように就職活動本ではとりあげられ、それを手にする学生のもとに届けられているのか。

これは第2テーマ「心」の回でとりくんだこと、つまり自己啓発書と社会(第2テーマでは震災について考えましたが)の関係を考えることへの再挑戦の意味合いもあります。ただ、自己啓発書(今回は就職対策本)の内容についてみるまえに、今日の就職をめぐる状況について概観しておきましょう。