サッカーが自己啓発と出合うまで

2011年のベストセラーである長友佑都さんの『日本男児』も同様の「アクセス・ポイント」だといえそうです。『日本男児』は基本的には自伝ですが、「はじめに」では「一日の終わりに必ず行う日課」として、「定めた目標と、現在の自分との距離を測り、足りないものを認識する」、「自分の弱さを突きつめたり、強さを確認する」といった自分自身の見つめ直しを行うことが述べられています(2p)。「どんなときも見直すべきは心」(3p)だという言及は長谷部さんにそのまま通じるものだといえます。

また、「大きな目標を設定し、そこへ向かうための道程を逆算し、今日やるべきことに100%で取り組む。今日頑張れなければ、明日はない」(4p)とする言及もあります。これは第8テーマ「手帳術」の回で述べた、端的には渡邉美樹さんが示したような「夢の作業化」の考え方そのものだといえます。長友さんと渡邉さんという、大きく異なった世界にいる人々が、まったく同じような夢や目標についての考え方をもっているというのは不思議ですよね。

こうした自己啓発的な物言いは、他のサッカー選手の自著でも同様なのでしょうか。いくつかみてみましょう。たとえば川島永嗣さんの『準備する力——夢を実現する逆算のマネジメント』は、川島さんは自分のことを語るのが好きなほうではないと冒頭で述べつつも、プロで成功する、日本代表になるといったサッカー関連のマネジメントから、ハッピーな人生を送る、経済で失敗しない、豊かな社会にするためのマネジメントまでを語る著作です。同書はサッカー関連の話が中心ですが、「リラックスした時間に湧き上がるイメージをピックアップする」「10年先のビジョンを描き、今の自分にできることを考える」「自分で決めた決断に誇りを持つ」など格言的な見出しが並び、文中にもモチベーションを高め、心を落ち着け、将来のビジョンを描いたうえで今できることを考え、悪いことはさっと忘れるといったハウ・トゥが多く示されています。

しかし、こうした自己啓発的な著作ばかりではありません。内田篤人さんの『僕は自分が見たことしか信じない』は、グラビア、自伝的エッセイ、日常に関するエッセイ、人生訓、知人が語る内田篤人といった内容がちりばめられた著作です。このうち、第2章「サッカー選手に必要な資質」では、「勝利の価値を纏(まと)う」「異変を察知できる」「予測する力を装備する」といった小見出しがつけられてはいるものの、内田さんはただサッカーのことを語っているだけで、たとえば「予測する力」や「装備」といった言葉は、内田さん自身が述べた言葉ではありません(55-56p)。全体としては、ファンブックのような内容だといえます。

阿部勇樹さんの『泣いた日』、松井大輔さんの『独破力』では、少しだけ教訓めいたことも書かれているものの、基本は彼ら自身が経験したこと、そのときどきで考えたことが綴られています。つまりほぼ自伝的な内容だといえます。少しだけ世代が上になりますが、田中マルクス闘莉王さんの『大和魂』は教訓めいたことはまったくない、自伝そのものといえる内容です。

このように、世代の近しいサッカー選手であっても、必ずしもみな等しく自己啓発的ということではないようです。では、自己啓発的な物言いを含むようなサッカー選手の自著はいつ頃から出てきたのでしょうか。