先駆者はカズでもヒデでもなく

さしあたりJリーグ成立(1993年)以後の代表的な選手をざっとみていくと、たとえば三浦知良さんには数冊の自著がありますが、特段意識的に自己啓発的な物言いがなされることはありません。三浦さんはTOPIC-1で述べたような「生きざま」によって人々を惹きつけるタイプといえるかもしれません。この世代の他の代表的な選手、たとえば中山雅史さんや井原正巳さんといった選手も、サッカー論以外の著作を残してはいませんでした。

次の世代の代表的な選手としては、中田英寿さんを挙げることができるでしょう。中田さんには『中田語録』というベストセラーがありますが、これは半ばフォトエッセイ、半ば名言集という内容の著作でした。ここでとりあげられる「名言」は、中田さん独自の考え方が表現されているような言葉を集めたということであって、特段自己の啓発に焦点が当てられているわけではありませんでした。

おそらく、近年の自己啓発的な物言いの「先駆者」は、中村俊輔さんの『察知力』(2008)あたりになるのではないかと思われます。同書は基本的にサッカー論ですが、次のような言及もみることができます。

「察知力というのは、人が成長するためには欠かせない力であり、目標を達成したい、願いを叶えたいと思うなら、磨くべき重要な力だと思う。それはサッカー選手だから、アスリートだからというのではなくて、あらゆる仕事をしている人に当てはまるはず」(35p)

思うようにいかないことの原因を、上司に求められていることを、目標到達のためにやるべきことを察知する力。指導者論では昔から行われたいたことですが、スポーツ選手の営みと、一般企業で働く人々の営みが、選手自身によって橋渡しされるというのは、サッカー選手の自著のなかでは他にみられない先駆的な発想だったのではないかと考えられます。

また、中村さんは「サッカーノート」を高校時代からつけており、それは自分を見つめなおし、今後やるべきことを整理し、目標達成のために役立つのだとして語っていました(38-40p)。中村さんは当時の指導者からノートをつけることを教わったと述べているため、中村さんが自己啓発的な物言いや発想の原点にいるということはいえないでしょう。しかし、その時代を代表する選手のなかで、自己啓発的な物言いや発想が自覚的に実践され、また語られているという点では、大きな転換点となった人物なのではないかと考えられます。