戦後に廃止された「皇室の藩屏」
その上、旧皇室典範の第42条では、「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」と養子が禁止された。現皇室典範では第9条である。皇室典範が制定されることで、それまでは存在していた女性天皇が封じられてしまったのだが、養子をとれなくなったことも大きい。
天皇家以外でも、家を継承することが重要なところはいくらでもある。かつては農家や商家において跡継ぎが重視されたが、血縁にそれが求められないときには養子をとることが一般的だった。
歌舞伎などの伝統芸能の家でも、養子が跡継ぎになるのは珍しいことではない。歌舞伎界の中心にあるのは市川團十郎家だが、現在の十三代目團十郎白猿の祖父にあたる十一代目は松本幸四郎家から養子に入った。養子をとらずに家を存続させることは至難の業なのである。
戦後になると、華族制度が廃止された。これは、憲法第14条が「社会的身分又は門地」による差別を禁じたからである。華族が「皇室の藩屏」と呼ばれたのは、皇族に対する結婚相手の供給源になっていたからである。
51人にものぼる戦後の皇籍離脱
しかも、代々の天皇には、皇后以外に側室がいた。皇室典範では、天皇が側室を持つことは禁じられなかった。実際、明治天皇には5人の側室がいた。大正天皇の生母となった柳原愛子氏も華族の娘で、側室の供給源も華族の子女だった。
代々、側室から生まれた天皇は少なくないわけだが、戦後に改正された皇室典範では、天皇に即位する可能性のある親王は、第6条で「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫」と限定され、側室の生んだ子である庶子が排除された。これによって、側室は明確に認められないことになった。
また戦後には11宮家が一挙に皇籍を離脱し、それも皇族を縮小させることにつながった。その際に皇籍離脱し、旧皇族と呼ばれるようになったのは51人にものぼった。
戦後には、戦地に赴いていた兵士たちが復員したということもあり、ベビーブームが訪れた。人口は増え続け、むしろ、それをいかに抑制するかが課題になった。その時代には、将来において深刻な少子化が起こるとは予想されていなかった。たとえ、それを予測した人物がいたとしても、皇族の減少が注目されることはなかったであろう。

