※本稿は、島田裕巳『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
約70年にわたり摂政となった古代女帝
日本の歴史のなかで、女性が摂政になった例が1つだけある。第14代仲哀天皇の皇后である神功皇后が天皇亡き後、およそ70年間にわたって摂政になったとされている。
神功皇后元年は201年という説があるが、この時代の天皇や皇族となると、実在したかどうかも定かではないし、本書の第一章で述べたように神功皇后は、大正時代までは第15代の天皇とみなされていた。女性が摂政になるのは希有なことでもあるが、天皇不在で男性皇族がいなければ、女性皇族が摂政となり国事行為を果たすしかないのである。
こうしたことを踏まえると、皇位継承の安定化ということでは、男性皇族の確保も重要だが、女性皇族の確保もそれに負けず劣らず重要だということがわかる。
現在女性皇族は11人である。ごく最近まで12人だったが、三笠宮百合子妃が101歳で亡くなったことで、また減った。天皇家には上皇后を含めて雅子皇后と愛子内親王の3人、秋篠宮家に紀子皇嗣妃と佳子内親王の2人、常陸宮家に華子妃の1人、三笠宮家に信子妃や彬子・瑶子女王の3人、高円宮家に久子妃と承子女王の2人である。
旧宮家の男性を養子にする案も難しい
そのうち、独身女性は内親王と女王の5人である。独身の女性皇族は、結婚すれば皇室から離れていく。既婚の女性皇族でもっとも若いのが紀子皇嗣妃で58歳である。最年長は、上皇后の90歳である。これに男性皇族を加えても14人である。天皇と上皇を皇族に含めない場合を除いたとしても、皇室の構成員は16人しかいない。
独身の女性皇族が子どもをもうけるとしたら、結婚して皇室を離れたときである。となると、将来において新たな皇族を生む可能性があるのは、悠仁親王だけということになる。こうしたところから、独身の女性皇族が結婚した後も皇室に残る「女性宮家」の創設が案として浮上してくるわけである。
皇位継承の安定化の議論において、他に出ているのが旧宮家の男性を現在の皇族の養子にするというものである。
旧宮家とは、戦後に日本国憲法と新しい皇室典範が制定された後、皇籍を離脱した11の家のことを指す。ただ、すでに断絶している家が5つあり、もう1つの家も断絶が見込まれている。したがって、該当する旧宮家は5つの家に限定される。しかも、皇籍を離脱してからすでに77年を超える月日が経過している。たとえ養子の道が開かれたとしても、そうした家から皇族の養子になる男性が現れる可能性はほとんど考えられないのではないだろうか。したがって、国会でもその方向は十分に模索されていない。