人は聞いた言葉を素材に「絵」を作り上げる

たとえば誰かが「ジムは新しい二階建ての家を買った」と言えば、あなたはそういった家をイメージするだろう。だが「ジムは新しい小屋を建てた」と聞けば、それとは違った別のイメージを描くはずだ。言葉は考えの素材にすぎない。言葉や言い回しは、自動的に心の絵に置き替えられるのである。そして、あなたがつくり出すその絵によって、相手の反応は限定されてくるのである。

「残念ですがわれわれは失敗したと言わざるを得ません」とあなたが言ったとしよう。すると、これを聞いた人たちはどんな絵を見ることになるだろう?

彼らはあなたの敗北した姿を見、「失敗した」という言葉によって連想される失望や悲嘆の状態を思い浮かべるだろう。しかし、同じことを「まだ発見できないけれども、ここにはきっと新しいやり方があるはずです」と言ったとしよう。彼らは再び勇気づけられ、やる気が起きるのを感じるにちがいない。

あるいはまた、「われわれは今、難しい問題に直面している」と言えば、相手は心の中に、解決することのできない難しい状態の絵や不愉快な絵をつくり出してしまう。そうではなく、「われわれは今、チャレンジ(挑戦)に直面している」と言ったとしよう。するとそれは、愉快な、何か楽しくなるような、スポーツめいた絵をつくりあげているのである。

聞き手に「前向きな絵」を描かせる

この間題のポイントは次の点にある。

つまり、大きく考える人というのは、自分自身にはもちろん、相手の心にも積極的で、前向きで、楽天的な絵をつくる名人であるということだ。大きく考えるためには、大きくて積極的な心像を生むような言葉や言い回しをしなければならないのである。

下記の図表1に、消極的で気がめいるような言い回しと、積極的な言い方とをあげておく。これを読み、「いったい私はどのような心の絵を見るだろう?」と自問してみることだ。