家事に唯一解は存在しない
たいていの技術は修練により向上する。とはいえ、修練すれば必ず向上するというものではなく、そこには工夫や熟考、試行錯誤が必要だ。これは研究活動と全く同じであるし、スポーツや楽器の修練とも同じだろう。
技術が上がれば、その家事はもっと楽しくなる。
「できない」が「できる」になる瞬間はよいものだ。私はエアコンのフィルター掃除が不得手で、最初はとても時間がかかり、出来も悪かったが、今年になって「コツ」をつかみ、テキパキと上手にできるようになった。クーラーの効きもよくなり、電気代も節約できて三重の喜びである。
一方、私の目下の不得手は「卵焼き」であり、「ママのより不味くて形が悪い」と娘たちに酷評されている。工夫と訓練を重ねて、いつか奥さんレベルの卵焼きに到達したいものである。
家事とはあくまでもパーソナルなものであり、唯一解は存在しないし、他家と優劣を競い合う必要もない。わが家は共働きなので、家事を完璧に遂行するのは最初から無理と諦めている。掃除などは随所に「手抜き」もある。それを許し合うのも工夫である。
「ルンバくん、今日も頑張ってるね」
繰り返すが、しょせん、家事は家庭の幸福の手段に過ぎない。
家事の完璧を目指してしんどい思いをしたり、イライラするのは本末転倒である。
アウトソーシングも大事である。まずは機械。お掃除ロボットとか、食洗機とか、本当に便利な道具が増えた。最近入手してよかったのは「ホットクック」。煮物系や低温調理はこいつに丸投げすることが増え、炊事がずいぶん楽になった。どうでもよいが、こうした相棒たちには愛着が湧くので、ついつい声をかけてしまう。「ルンバくん、今日も頑張ってるね」と「くん」付けである。
娘たちもアウトソーシング先としては有望で、年齢が上がり、成長するとともに、少しずつ高いハードルの家事をやってもらっている。給金(お小遣い)も労働の対価として相応に渡している。われわれは加齢に伴い、「できないこと」が増えてくるのは必定だ。上手にフェイドアウトし、上手にアウトソーシングしたいものだ。
繰り返すが、こうした「各論」はすべて幸福の最大化という大きなミッションの手段に過ぎない。その「軸」を忘れることなく、いまも家事のあり方については模索が続いている。楽しいことである。