「自分たちだけ成功しても意味がない」
邦彦さんと美保さんの取り組む完全受注漁は、漁業が抱える課題を解決する取り組みとして「第7回ジャパンSDGsアワード」などの他、ビジネスコンテストで多数受賞した。また、イギリスのテレビ局BBCから取材を受けたり、台湾の経営者が集まるフォーラムに登壇したりなど、富永夫婦は注目の的となった。
だが、邦彦さんたちは「一介の漁師ですから」というスタンスを崩さない。「自分たちだけ成功しても意味がない」という思いが、彼らにはあるからだろう。以前、高齢の漁師たちに魚の直販を紹介したが、「おまえらだからできるんや。いいのはわかるけど、わしらはよーできん」と言われた。「それなら、アナログに回帰しよう!」と、地元で魚を流通させることに力を入れ始める。
今年の6月に開始した「黒鯛プロジェクト」では、漁師の間では海苔を食い荒らす厄介者とされ、消費者にも馴染みの薄いクロダイを市場価格より高値で買い取り、地元の飲食店に卸すようにした。漁師たちからは配送代として1回200円をもらう。地元とはいえ、宅配便より安い。9店舗の飲食店が参加し、黒鯛の地元での流通量は700kgを超えた。おかげで地元漁師の手取りも2倍に増やすことができた。
「時期によっては市場だとkg単価50円にしかならないクロダイを、400円で買い取って、参加した飲食店に600円で販売します。でも、料理人には『鮮度がいい魚がこんなに安くていいの?』って言われるんです。これが本来のあるべき流通価格だと僕は思います」
「目の前の人を幸せにできなかったら意味ない」
今年5月に会社を法人化し、未経験の社員を1人雇った。近い将来独り立ちできるようにと、漁の仕方を覚えてもらいながら、地元の漁師から飲食店に配送する仕事を任せているそうだ。
もう一つ、富永夫婦が地元に貢献したものがある。縁もゆかりもない邦彦さんが漁師になったことで、漁協の昔ながらのルールが改善されたのだ。そのおかげで、跡継ぎのいない漁師に県外からやってきた人が手を挙げて、後継者になるという事例が出た。邦彦さんと美保さんがもがきながら開拓した道のりは、未来の誰かへと繋がった。