入浴時の温度管理は女性の役割だった
温度の注意を示すものは他の家政書でもみられる(*12)。
下田歌子の『家政学』にも、入浴についての記述がある。そこには、子どもをできれば毎日湯に浸からせること、湯を沸かす水は軟水を用いること、35度から37度(手を入れて少し温かいと感じるほど)の温度にすること、子どもの起床後か就寝前に入浴させることに加え、「海綿、又は、軟らかき手拭」で全身を洗うこと、入浴は5分から10分間にすること、身体が発育した後は水浴や水で身体を拭くのは避けるべきことなど、当時の家政書の記述のなかでもとりわけ細やかな注意をみることができる(*13)。
こうした温度に対する注意は誰に向けてされたのかというと、家庭のなかの女性であった。また、今後家庭を築く未婚の女性たちに向けたものだっただろう。
小児の入浴にせよ大人の入浴にせよ、温度を判断することは、育児を含む家政を担当する女性に求められたのである。こうした入浴の記述は、明治30年以降、より増えていった。
(注)
(*12)1873(明治6)年に刊行された石黒忠悳『長生法』の「小児養生の事」という項目のなかで、「生児は微温浴にて洗い清め」とも述べている。「微温浴」というのは、石黒の1871(明治4)年の『医事鈔』のなかで「華氏86度、摂氏30度位」と説明されている。
(*13)下田歌子『家政学 下巻』博文館、1893年、208頁
「日本人は毎日湯に入るが、西洋人は入らない」
明治後期の家政書のなかには、西洋と日本を比較しながら子どもの入浴法について記しているものもある。ここでは1903(明治36)年に刊行された羽仁もと子の『家庭小話』を紹介したい。
羽仁は雑誌『家庭之友』(のちの『婦人之友』)を発刊し、キリスト教プロテスタントの精神にもとづいた理想教育の実践の場として自由学園を創立するなど、近代日本において女子教育を推し進めた人物である。
『家庭小話』は、主に日本と西洋の家政に関するさまざまな点を記述したものだ。日本と西洋の育児や妻(「奥様」)のありよう、加えて羽仁が海外で見聞したことも紹介されている。ここでは「東西育児法の比較」という節のなかに、「沐浴」の項目がある(*14)。
(注)
(*14)羽仁もと子『家庭小話』内外出版協会、1903年、6―7頁