「日本人ほど清潔を守っている者はいない」

では時代が下って大正期になると、家政書の入浴の記述はどう変化していくのだろうか。1914(大正3)年に、河野正義こうのまさよしによって『婦人宝鑑 最新家庭全書』が刊行された。河野は育英事業に尽力し、1915(大正4)年には衆議院議員になった人物である。この本の第2編第8章が「入浴及衛生」で、入浴と衛生の注意、冷水浴や冷水摩擦、温泉浴、海水浴の4つの内容に構成して、入浴について言及している。「入浴と衛生の注意」は、次のように始まる(*23)

吾等日本人に向つて改めて入浴の効能を説く迄もありますまい。大きく云ふと世界の広きところにか日本人程皮膚の清潔を守つてゐる者がありませう。

入浴の効能は説明するまでもなく、日本人ほど皮膚の清潔を保っている者はいないと述べられる。記述は次のように続く(*24)

口を開けばぐ衛生々々と叫ぶ西洋人もわづかに一週間に一回の入浴がせいぜいであります。之をどんな片田舎でも据風呂のある我日本と比較してどうでせう。朝湯に鼻歌を唸るを人生の一快事とする江戸ッは勿論、いかなる農家でも一日の労働が終るとただちに戸外の風呂桶に身を浸し、悠々ゆうゆう葉越しの月を眺めながら一日の塵垢ちりを洗ひ落すのであります。れ婦人達になりますと二時間もゆあみする者があります。

それまでの西洋との比較とやや異なるのは、日本人が都会に住んでいようが田舎に住んでいようが、いかに頻繁に入浴しているかを、具体的に記述している点である。

(注)
(*23)小山静子『良妻賢母という規範』、45頁
(*24)河野正義『婦人宝鑑 最新家庭全書』東京国民書院、1914年、190頁

「入浴後になにを着るべきか」という問題意識があった

さらに河野は続ける(*25)

日本人の潔癖であることは之れで分りますが、しかし単に清潔きれいずきで之に伴ふ衛生思想が欠いてゐましたら、其効果の大部分は失くなつて仕舞ひます。御覧なさい、折角入浴して清潔になつた身体からだに、すぐ垢づいた着物を着て平気で居るではありませんか。之では何にもなりますまい。すでに入浴して身体の汚れを拭ひ去ると云ふ心があるならば、襯衣はだぎも始終取替へて、いやが上にも清潔にした方がいのでありませう。風呂から上つてさつぱりした身体へ、サバサバした洗ひだての衣物を着るの爽快は、どんなに気分を快くし、昼の労働に疲れた心気を慰めるか知れますまい。
川端美季『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)
川端美季『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)

ここで興味深いのは、単に清潔好きであることと「衛生思想」を分けているかのような記述である。入浴には衛生的な効果があることを前提にしながら、河野が注意を向けているのは、入浴後の身体にまとう衣服についてなのである。

加えて、入浴後の身体に「サバサバした」洗いたての衣服を着るのは、「昼の労働に疲れた」心を慰めるものになるだろうと述べている。この記述は労働者本人だけではなく、労働者の妻、あるいはこれから妻になり得る未婚の女性に向けてのものだと想定される(ここでの労働とは労働者階級の労働という意味での労働ではなく、より広義の、誰もが従事する労働のことを指すと推測される)。

(注)
(*25)河野『婦人宝鑑 最新家庭全書』、190―191頁

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