新しい市場はどうやって生まれるのか。イノベーション研究の第一人者、クレイトン・クリステンセンの著書『イノベーションの経済学』(ハーパーコリンズ・ジャパン)より、ソニーのウォークマンの事例を紹介する――。(第1回)
盛田昭夫と井深大 企業の社会貢献に情熱
写真=共同通信社
腕相撲に興じる盛田昭夫氏(左)と井深大氏=撮影日不明

今からは想像がつかないソニー創業期の困難

ソニーがまだ前身の東京通信工業(TTK)だったころは、国務長官ダレスの辛辣な言葉どおりの会社だったかもしれない。実際、創業当初の状況からは、ソニーの偉大な軌跡は想像もつかない。

TTKが当初、製造販売していた電気座布団は熱くなりすぎて毛布や布団を焦がすことがあった。戦争でダメージを受けた建物の一部を借りて運営していたため、工場の床のあちこちに穴があり、外壁はひび割れていた。雨が降るたびに工場の床に水溜まりができるという、当時ならではの趣のある作業環境だった。

しかし、19世紀のアメリカに見られたイノベーションの先駆者たちと同様に、創業当初の貧しい時代のソニーにも、厳しい状況を生き残るためのぎりぎりの戦略、間に合わせの代替策、金はなくとも知恵で乗り切る創意工夫が満ちあふれていた。

資源が不足していたため、機械や道具を購入することができず、エンジニアが自らの手で、はんだごてや電気コイル、ねじ回しなどをつくっていた。明け方まで作業が続くことも多く、夜中や早朝に建物に出入りするため、地元の警察から泥棒とまちがわれることもあったほどだ。

社員の給料が支払えなくなる危機にも何度か陥り、1回分の給料を2回に分けて支払ったこともある。だが、創業者の盛田昭夫と井深大はそうした困難をものともしなかった。

画期的だから売れるわけではない

ソニーの最も輝かしいイノベーションというと、ウォークマンを思い浮かべる人も多いだろう。実際、ウォークマンは4億台以上を販売し、世界的な携帯音楽プレーヤーの文化を確立した。しかし今日の巨大企業への道程はもっと地味なG型テープレコーダーから始まった。

ソニーG1型テープレコーダー
ソニーG1型テープレコーダー(写真=ブルーノ・プラス/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

磁気材料を用いた巻取り式のポータブル録音装置で、盛田は当時、これを「テープコーダー」と呼んだ。「テープコーダーが発明される以前は、“録音”とはわれわれの日常生活からは縁遠いものだった」と盛田は1950年に書いている。

「従来は、録音をするには特別で複雑な技術が必要で、費用も高くついた。しかしいまではソニーのテープコーダーを使って、誰でも、いつでも、どこでも、簡単に、安い値段で、正確に録音することができる」

盛田は、顧客が人生のあらゆる瞬間を録音し、思い出を保存するために役立つこの製品に、大きな可能性を見いだしていた。「日本初の画期的な製品だ。そのうえ、手軽で扱いやすい。誰もが買わずにはいられないだろう」。

だが、そうはならなかった。少なくとも最初のころは。人々はもち運びのできる録音装置に魅力を感じはしたものの、簡単には買ってくれなかった。ソニーの幹部は別の方策を迫られる。