部下からの警告を無視した創業者
1950年から82年のあいだに、ソニーは12種類の新たな市場を創造した。
そのなかには先に挙げた電池式小型トランジスタラジオのほか、初のソリッドステート式小型白黒テレビ(1959年にはすでに多くの日本の家庭にテレビが普及しており、同年の皇太子の結婚式をメディアが大々的に取り上げた際には、記録的な人数である1500万人の日本国民がテレビ中継を見た)、ビデオカセットプレーヤー、ポータブルビデオレコーダー、3.5インチフロッピーディスクドライブ、そして、あの有名なウォークマンがある。
ソニーの共同創業者、盛田は、不便や苦痛のなかにある好機を直観的に見つけ出す才能によって一大帝国を築き上げた。
ウォークマンには、市場調査チームからの報告を受けて販売が一時保留になったという経緯がある。録音機能のないテーププレーヤーなど欲しくない、イヤホンでしか聴けないのは煩わしくていやだという調査結果が出たためだ。
しかし盛田はそうした警告を無視し、自らの感覚を信じた。市場調査に依存せず、「人々の生活を注意深く観察し、彼らが何を欲しがるはずなのかを自分の直観を働かせて見きわめ、そこへ向かって突き進め」と社員を駆り立てた。盛田は正しかった。人々はそれまでは気づいていなかったが、「どこでも聴ける音楽」を求めていたのだ。
こうやって市場は生まれ、成長する
ウォークマンは日本の市場に受け入れられ、当初、ソニーの幹部が月間売上台数を約5千台と予測していたところ、発売から2カ月で5万台以上が売れた。ウォークマンが市場に現れたその日から、私たちは音楽を聴きながら、歩いたり走ったり本を読んだり物を書いたりすることができるようになったのだ。
その後40年のあいだに、ソニーは4億台以上のウォークマンを売り上げた。いまやウォークマンは、これまでに発売されたすべてのポータブル製品のなかで、最大の成功を収めたもののひとつとなっている。新たな市場が誕生すると、そこには即座に他社の参入が始まる。ソニーが新しい市場を創造するたびに、東芝、パナソニックをはじめとする数多くの企業も続き、新しいビジネスチャンスに投資した。
ウォークマンの登場によって、ほかのメーカーも「音楽のもち歩き」は可能だと知ることになった。ここでたいせつなのは、市場はある企業一社を中心に成長するのではないという点だ。市場は、新たな消費者を創出し、イノベーションを継続し、消費者の「片づけるべきジョブ」をより深く理解するという作業を中心に成長するのだ。
ソニーはその後、MP3とiPodのブームには乗り損ねたものの、業界が成長し繁栄するための種蒔きにはかかわっていた。のちに他社が勇んで参入するような魅力ある潜在市場をソニーが見きわめて創造した回数の多さには驚嘆させられる。