彰子に追いやられた女御の女房を「老けて見える」とあざ笑った

彰子入内後はほとんど参内できない女御義子の女房で、五節舞姫の付き添いとして久方ぶりに参内した女性に対するなんともひどい悪戯である。

服藤早苗『平安王朝の五節舞姫・童女』(塙選書)
服藤早苗『平安王朝の五節舞姫・童女』(塙選書)

女房生活で意地悪な陰口や嫉妬に嫌気を覚えつつも、他者へは同じ行為をする紫式部たち女房社会の陰湿な側面があらわである。ところが、これを見た義子の父・公季は、彰子からの贈物と勘違いし、筥のふたに銀製の冊子箱を置き、箱の中には舶来品の沈香製の櫛や白銀製のこうがいなどを入れた豪華な返礼や、『蜻蛉日記』作者の兄弟で有名な歌人の藤原長能ながとう作の返歌を入れ、賀茂臨時祭使だった(彰子の実弟で道長の五男の)教通に贈ってしまう。

このエピソードについてはすでに多くの研究があり、多様な解釈がなされている。中宮彰子は「扇なども沢山たくさん差し上げなさい」と言葉をかけているので、一緒に悪戯をしたのかと驚いたが、紫式部は「これはほんの私事です」と答えており、彰子は事情を知らなかったようである。

皇后定子が遺した敦康あつやす親王や一条天皇亡き後の定子兄弟を庇護ひごする彰子の姿からして、本当に悪戯を知らなかったのではないかと推察したい。

【関連記事】
父・道長の操り人形ではない…実の子より定子の子を優先しようとした中宮・彰子の"賢后"ぶり
NHK大河ドラマを信じてはいけない…紫式部の娘・賢子が異例の大出世を遂げた本当の理由
天皇の意思を踏みにじり、娘・彰子を道具として扱う…藤原道長が権力を得た代わりに失ったかけがえのないもの
藤原道長にいいように利用され、最後は天皇の座を奪われた…2人の中宮を持った一条天皇が迎えた悲しい最期
定子のように一条天皇には愛されなかったが…父・道長亡き後に宮廷のトップに立った彰子の波乱の人生