紫式部は童女たちを批判するが、すぐに我が身を振り返る
紫式部は最後は身分がより下の童女たちを突き放す。その後、みなが自信を持って選んだ童女なので優劣がつけられないこと、扇も満足に持たせず昼日中に大勢の殿方がいる所で競い合うことも気後れがするに違いないこと、など同情を寄せている。
さらに、丹波守業遠の童女は青い白橡の汗衫、参議兼隆のは赤色、参議実成のは濃きあこめ、尾張守中清のは葡萄染と衣装や色合を詳細に記し、「業遠の童女の容貌は整っていない」「下仕(下女)のなかに容貌の良いのがいて、六位蔵人が扇を取ろうとすると自分から進んで扇を投げて顔をさらしたのは、あまりに女らしくない」、などと童女や下仕の容貌を評価したうえで、自分の女房つとめを内省し自己批判さえはじめる。
実成が献上した舞姫付き添いの傅のなかに、もと天皇付き女房で、今は女御(天皇の妻)藤原義子付きの左京の君という名の女房がひどく物慣れた様子で仕えていた。紫式部他の女房たちや顔見知りの殿上人、中宮彰子まで一緒になって、皮肉を込めた歌や扇を贈る。今も変わらぬ女性同士の嫌がらせである。
中宮彰子や紫式部までいじめをした?「左京の君事件」
五節舞姫参上、御前試、童女御覧などを見て、紫式部は人前にさらされる舞姫や童女に同情しつつ内省する。
ところが、実成が献上した舞姫の付き添いの中に実成の妹で弘徽殿女御義子の女房だった「左京の君」を見つけると、紫式部をはじめ女房や殿方、さらに彰子までもが一緒になって、「女盛りを過ぎた」左京の老いを揶揄するために不老不死の仙人の住む蓬萊の絵の扇や日陰の蔓、不格好に細工した飾り櫛、伊勢大輔に書かせた「あなたの日陰の蔓は目立ちます」と嘲弄する和歌、体裁悪く結び入れた手紙などを硯筥(すずり箱)のふたに入れ、匿名で贈り届ける悪戯をしたという。