たとえばコマツの国内販売比率はいまや15%にすぎない。しかし商品のラインアップを見ると、将来的にも国内市場でしか売れないような商品が含まれている。コストを考えると、このタイプは発売しないほうが合理的だ。

ところが、これを担当役員が主張しても「販売シェアが落ちたらどうするんですか」と反論され、結局は押し戻されてしまうだろう。だからこそトップ自身が「シェアは落ちても構わない。国内でしか売れないようなモデルからは撤退する」と、自分の言葉で犠牲を明確に示すのだ。

その一方、トップは現場の仕事にまで口を出すべきではない。とりわけ日本社会では、トップダウンが強烈すぎると、ほとんどの部下が待ちの姿勢をとるようになってしまう。すると結局は部下の自主性が阻害され、仕事の質や効率が落ちるのである。

ダントツ商品の開発に当たっては、初めに犠牲にする部分を決定した。では、どの機能に注力するか。私が示したのは「環境と安全と情報通信技術、この3つに集中せよ」。これだけだった。具体的な企画を詰めたのは、担当役員以下の現場である。

囲碁の世界に「着眼大局、着手小局」という言葉がある。トップの仕事も同じである。まずは現状を把握し、仮説を立てて将来のビジョンをわかりやすく示す(着眼大局)。そのうえで、何を犠牲にするかという具体的な指示を与える(着手小局)。しかし、トップは最初の一手を置くだけで、あとは部下の自発性に任せるべきなのだ。

そして、どのようなことを語るにせよ、トップは部下の作文を読み上げるのではなく、ぶれずに繰り返し自分の言葉で語らねばならない。経験のなかから紡ぎだされた言葉や数字は、借り物にはない説得力があるからだ。

リスクの先送りをしないこと、後継者を育てることもトップの大切な役目である。では、後継者をどう育てるか。

若いうちに「伸びる人」「リーダーになりそうな人」を見分けることは事実上不可能である。ポストにふさわしい器であるかどうかは、やらせてみなければわからないからだ。

よく冗談でいうのは、私は28歳のときに社内の海外留学制度に応募したが、大学時代の成績が悪いという理由で不合格になった。その男が後に社長になるのだから、若いときの評価など当てにはならないといえるだろう。

だが、その人がどういう器であるかは、課長から部長、部長から役員に引き上げていくうちにだんだん見えてくる。部長になったら以前よりはるかに仕事ができるようになる人がいる一方、責任が重くなればなるほど判断力が鈍り、決断できなくなる人もいる。

つまり、その人物の器を見極めるには、それなりの権限を与えてみないとわからない。だからコマツでは、「これは」という人材には、定められたキャリアパスを与えるようにしている。