敗者復活ありの後継者リスト
アメリカ企業には「サクセッション・プラン」といって、経営トップが後継候補を取締役会に対して早くから公開する制度がある。私はこれにならって、コマツの役員と子会社社長については、自分の次の後継候補とさらにその次の候補を本社社長に対して公開する制度を取り入れた。
対象になる役員と子会社社長は、次の候補者1人と、その次の候補者3人ほどを年1回リストアップして、本社社長と面談することになっている。
ところが、この後継者リストは毎年のように中身が入れ替わる。つまり選ばれる側からすると、敗者復活はあり、となる。「部下は上司を3日あれば見抜くが、上司は部下を見抜くのに3年かかる」という言葉があるとおり、部下の見極めは大変難しい。アメリカと違って次期社長の名前こそオープンにすることはないものの、社長候補の1人として会社が認め、次代のリーダーとしての自覚と奮起を促すよう見守るのである。
人材育成という観点では、1996年に始まった社内ビジネススクール「ビジネスリーダー選抜制度」も非常にうまく機能している。課長と部長クラス、それぞれ20人を選抜し、1年間にわたり根幹となる価値観、コマツグループで共有すべき価値観や行動指針をまとめた「コマツウェイ」を身につけてもらう。こちらも課長のときに選ばれなかった人が部長のときには選ばれるなど、敗者復活も珍しくない。
同様のビジネススクールは他社でもよく聞くが、「仏をつくって魂入れず」を避ける一番のポイントは、一度でも選抜されたメンバーは本社人事部預かりとすること。とかく上司は優秀な部下ほど離したがらず、ナンバーツーを出すことでお茶を濁そうとする。しかしこの制度では、直属の上司の人事権は及ばないため、上司の意向とは関わりなく、海外赴任など戦略的に異動させることができる。
コマツは売上高の85%を海外市場に頼るグローバル企業だ。今後も新興国をはじめ世界で人気が高いハイブリッド建機などダントツ商品を携えて、海外市場を開拓・深耕しなければならない。すでに役員の4分の3は海外駐在経験者となったが、経験者で社長になったのは私が初めて。人材という意味では海外の歴史は意外と浅いのだ。
企業経営に優れたトップダウンは欠かせない。だが、トップダウンを担うのは、優れた「ミドル」にほかならない。課長クラスを中心とする「ミドルアップ」あってのトップダウン。「ミドルアップによるミドルダウン」こそが、組織を強くする要諦なのだ。
※すべて雑誌掲載当時
1941年、島根県出身。県立浜田高校卒。63年大阪市立大学工学部卒業後、小松製作所(現コマツ)に入社、89年取締役。90年小松ドレッサーカンパニー(現コマツアメリカ)社長。97年専務取締役、99年代表取締役副社長を経て、2001年社長に就任。07年より現職。