確かに、立民内では保守的なグループを率い、首相経験者という安定感もあって、一部には野田待望論も出ていた。だが、野田だけはダメだという立民議員も少なくない。小沢一郎その人も、プレジデント・オンラインの「私の失敗談」(5月23日配信)で、筆者のインタビューに対し、野田の政治判断が間違っていたと名指しで批判していたほどだ。この時点では小沢の選択肢に野田が入っていなかったことは間違いない。

では誰を立てるのか。その後も具体的な候補者名をあげた議論が交わされた。その候補の中には、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で一躍有名になり、将来の立民を背負う人材と期待されている小川淳也や若手議員グループ「直諫の会」のリーダー重徳和彦、さらに何人かの若い女性議員の名前も挙がっていた。

そのなかには実は吉田晴美の名前もあったという。だが、小川や重徳は野田支持に回る意向を示し、女性の若手議員も経験不足がネックとなって次々と消えていった。

野田元首相「本当にありがたい」

こうしたなか、「自分がふさわしいかどうか熟慮したい」と言っていた野田も、周囲から出馬要請を受けるうちに次第に出馬に傾いていった。一方の小沢は、小沢側近の間にも野田に対して強い異論が出たこともあって、逡巡し続けていた。

しかし次第に代表選の日程が迫ってくる中、立民自体が決断を迫られる。9月に入ると推薦人を固める作業に入り、先行した枝野や野田の陣営でも一人ひとり、確約を取り付ける作業が始まっている。泉や吉田、さらには意欲を示す江田憲司らが必死に推薦人を集めている。いつまでも迷ってはいられない。グループを集める余裕もなく小沢は一人ずつ野田で行くことを直接電話で伝えた。

「色々あったが、選挙で勝って政権交代を実現するには、ここは野田さんしかいないと判断した。意見はあるだろうが、大義のために一緒に頑張ろう」

小沢には珍しく丁寧な口調でそう伝えたという。傍らで聞いていた側近は、「やはり小沢自身が一番抵抗があったのだろう。でもそれを乗り越えるほど政権交代への強い執念を感じた」と語った。

これを受けて野田も「顔も見たくない関係だったかもしれないが、恩讐を越えて政権をとりにいく執念への共鳴があった。本当にありがたい」と語っている。

立候補者は「昔の名前」と「知らない顔」ばかり

こうして野田と枝野、そして泉という「昔の名前」3人と「新しいが知られていない名前」の吉田という構図が決まったのである。

これは野田と枝野の事実上の一騎打ちだが、最終的に民主党政権を崩壊させた野田に対する反感やその引き金を引いた小沢に対する不信感は根強いものがある。その「嫌われ者」の2人が手を結んだことで一種の化学反応が起きたことは確かだが、一つ間違えれば「嫌われ度2倍」にもなりかねない。

小沢のメリハリが効きすぎた政治手法は、しばしば強引、強権的と言われ「小沢アレルギー」のもととなっている。そのアレルギーは実は野田を支持する議員のなかにも根強くある。