※本稿は権藤恭之『100歳は世界をどう見ているのか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
100歳超えだが自立した生活ができない老人は幸せなのか
100歳の現状を見てみると、元気な人もいますが、多くの人たちはさまざまな機能が低下し、自立した生活を送ることが難しい状況です。では、そういう人たちはどういう気持ちで暮らしているのでしょうか。不幸だと感じているのか、幸せだと感じているのか、そんなことを考えてみたいと思います。
「東京百寿者研究」では、おおよそ300人の100歳以上の人について面接調査をしました。この研究はチームで行っていたため、私がすべての参加者の方にお会いしたわけではありません。ご自宅でのひとり暮らしの人から、病院や施設で意識もなくベッド上で生活している人まで、さまざまな方がいました。
105歳のMさんについてお話しします。Mさんは100歳の時に「100歳調査」(東京百寿者研究)に参加して、私と知り合いました。この時はとても元気で、1時間半くらいかかる知能テストをすべて受けてもらいました。80歳の時から絵画を習いはじめて90歳くらいにはかなり上手になっていたという積極性のある人です。手続き的記憶が低下しないという話と関係します。私もその絵を見せてもらいましたが、90歳とは思えないしっかりした作品でした。
娘さんとふたり暮らしで、親子関係も良好、昔のことをよく覚えていたため100歳の人たちの思い出を集めた書籍『百歳百話』でも思い出を語っていただきました。
「生きていても仕方がないと思いますか」という問いの答え
Mさんにはその後105歳の時に「全国超百寿者研究」にも参加してもらい、追跡調査として再び話を聞きました。その時はベッド上での生活で、トイレも自分で行くことができませんでした。前述のように私はためらいながら、PGCモラールスケールの「生きていても仕方がないと思うことがありますか」という質問をしました。Mさんは少し間をおいて「そうですね」と答えました。私はやはり聞くべきではなかったかと後悔したのですが、続けて「生きていれば、駄目ながらも娘の話し相手になってあげられるからね」と答えたのです。
ほぼ寝たきりでも幸福を感じているのだと私は驚き、Mさんのこの答えが「老年的超越」という現象に興味を持つきっかけになりました。それまで私は高齢期の認知機能の研究をしていたので、認知機能がどのレベルであるのか、認知症かどうかという視点で調査の参加者を見ていた部分がありました。しかし、この一言で研究者として目が覚めたのかもしれません。