「総理大臣が変わる」大騒ぎの永田町で…
会館事務所に駆けつけると、菅は例によって前置きもなく、こう言った。
「(月刊「文藝春秋」の)締切はいつですか」
しめた! と思う間もなかった。このあとすぐに政権構想インタビュー、原稿のまとめ、記事チェック、校了と、スケジュールに思いをめぐらす。すべてを算段しなくてはならない。菅はむしろ「来るのが遅いじゃないか」という顔をしていた。痺れる展開が続いていく。インタビューのための日程は、翌9月1日の午後5時から6時30分までしか時間を取れないという。
すでにこの日の新聞朝刊には、「自民党総裁選 菅氏優位」(読売)、「主要派閥 菅氏支持の動き」(朝日)、「菅氏選出強まる」(毎日)という見出しが躍っていた。総理大臣が変わる――政治部記者が最も高揚する永田町の鉄火場である。そんなときに雑誌編集者がのこのこと議員会館に出かけていって、当事者に時間をもらえることに感謝しなくてはならない。
その時間、議員会館の部屋の前には官房長官番の記者が押し寄せていた。
「政権構想は……ないんだよね」
「それで、政権構想はどういったかたちになるのでしょうか」
インタビュー時間を気にしながら、わたしは菅に尋ねた。
「政権構想は……ないんだよね」
この瞬間、わたしは椅子から転げ落ちそうになった。しかし同時に、菅さんらしいなとも思った。そもそも菅は政権構想といった大風呂敷を広げるタイプではない。
ただアタマの中でこちらの考えがまとまらない。どういう形で構想を打ち出せばいいのか。かねてより、「出馬する意思はない」とは言っていたものの、密かに政権の構想を練ってきたのではないのか。
菅は微笑んでいた。そのうしろには、官房長官秘書官の高羽陽(平成7年外務省入省)、大沢元一(平成7年大蔵省入省)が控えている。彼らは寝ずに政権構想の枠組みを考えているに違いない。菅が口にしたのは、「自助、共助、公助」という言葉だった。確か自民党の綱領にもあった文言だと思いながら、菅の言葉を聞いていた。