安倍政権のキャッチとは裏腹に「すこぶる地味」

「私の持論は、国の基本は『自助、共助、公助』。自分でできることはまずは自分でやってみる。そして、地域、自治体が助け合う。その上で、政府が必ず責任を持って対応する。国民から政府がそのような信頼を得られるような、そういう国のあり方を目指したい」

安倍政権が掲げてきた「戦後レジームからの脱却」といった派手なキャッチとは裏腹に、すこぶる地味な印象があった。「菅らしい」といえば、そうなのだが。アタマの中ではなおも、キャッチフレーズを探している。話を聞いていくうちに、1976年、福田赳夫内閣誕生時の「(さあ、)働こう内閣だ」というキャッチがあったはずだと思い起こした。

やはり、先週、アタマの中で思いめぐらせていた「国民に尽くす、国民のために働く」といった路線でいくのがいいのではないか。時間の制約のなかで思いつくのは、その程度であった。

“仕事師”はなぜ総裁選に出馬したのか

菅義偉は徹底的にプラグマティックな政治家である。

これまで歴代の総理大臣が掲げたようなスローガン、国民受けするようなキャッチを好むひとではない。政治をなりわい、職業とする仕事師であって、高邁な思想を語るひとでもない。冷戦終結から30年を経たからこそ、菅のようなタイプの総理が誕生したのではないか。「菅義偉『我が政権構想』」(「文藝春秋」2020年10月号・9月10日発売)を振り返ってみたい。

まず菅はなぜ総裁選に出馬するのか、その決意を語る。

「この国難への対応には一刻の猶予もなく、政治の空白は許されません。誰かが後を引き継がねばならない。果たして私がやるべきか――熟慮に熟慮を重ねました。それでもこの難局に立ち向かい、総理が進めてこられた取り組みを継承し、更なる前進を図るために、私の持てる力を尽くす(後略)」

そして、喫緊の課題は新型コロナウイルス感染症との闘いであることを明言する。

「感染防止と社会経済活動の再開を両立させなければ、国民生活が立ち行かなくなる」

いま聞くとすでに懐かしい響きになってしまったが、地域の観光業を支援するための「GoToキャンペーン」をさらに押し進めるという。

「私は秋田の寒村のいちご農家に育ち、子どもの頃から『出稼ぎのない世の中を作りたい』と思っていました」