秋篠宮文仁親王は哀しい
もしも自分が天皇家に生まれながら、皇位を継ぐ可能性がない男子だとしたら、いったいどう生きるのか。そう考えたとき、秋篠宮という存在はひどく哀しいものに思えてくるはずだ。
秋篠宮文仁親王は、現在「皇嗣」と位置づけられている。皇嗣とは、皇位継承順位第1位の皇族をさす。
皇室典範では、「皇嗣たる皇子を皇太子という」とされているものの、秋篠宮は現在の天皇の弟であって子どもではないために、皇太子にはなっていない。しかも、皇室典範では、皇太弟の規定がないため、しかたなく皇嗣と呼ばれている。いかにもその立場は中途半端なものである。
さらにその特殊な立場は、その子息である悠仁親王が皇位継承順位第2位と位置づけられ、愛子内親王の天皇即位がなければ、実質的に次の天皇と見なされていることにある。自分が天皇になる可能性は乏しいのだが、息子は天皇にしなければならないのだ。
将来天皇になる親王には「帝王学」が授けられるとされているが、秋篠宮にはその機会はめぐってこなかった。兄である現在の天皇から、それを授かることもないであろう。
ところが、息子にはそれを授けなければならないのだ。というか、授けようがないはずだ。
「自分は何のために生まれてきたのか」
明治以降の皇室では、天皇の役割として宮中祭祀を司るということが重要視されてきた。
大祭においては、天皇が直接神主役となって祭祀を行うのだ。秋篠宮は宮中祭祀に参列しても、自ら祭祀を司る役割がまわってくることもない。
天皇であれば、日本の象徴、日本国民統合の象徴として、国内外において果たすべき重要な役割がある。
とくに皇室外交では、その主役として、諸外国の元首などと対等の立場でまじわることができる。そうした機会も、秋篠宮にはほとんどまわってこない。
「自分は何のために生まれてきたのか」
私が秋篠宮であったとしたら、幼い頃からそう問い掛けてきたことだろう。立場はあまりに曖昧で、どうふるまったらいいか、それを見いだすことが難しいのだ。