デリケートな描写は清少納言に軍配
【永井】だから、恋愛なんかもその美意識に適うようにするのね。清少納言はそれを非常に重んじている。朝、男が別れて行くとき、少し着物が乱れているほうがいいっていうのよ。つまり、ネクタイをきちっと締めるんじゃなくて、(笑)ちょっとゆうべの残り香があって、それで「もう行かなきゃダメよ」「まだ……」とか言いながら、(笑)すっと出て行く。
それでいかにも名残り惜しそうな雰囲気を残しているのがいい。バッと起きて、「何時? 財布! 眼鏡!」バタバタ探して、「じゃ、さよなら!」と出て行くのは下の下だと。(笑)
【杉本】そういう点、清少納言のほうがデリカシーがあるわね。「鏡はちょっと曇ったのがいい」とか、「暗がりで鏡を覗くとどきどきする」なんて。紫式部にはそこまでのデリケートな描写や観察がない。
【永井】だから私は「紫式部は近眼だ」っていうの。(爆笑)杉本さんの前で悪いこと言った。
【杉本】かまわんかまわん。紫式部の仲間に入れられるなら光栄だ。(笑)
【永井】あなたは近眼でもよく見えるけどさ、そうじゃなくて、清少納言のような、「ウーン」とうなるようなピリッとしたセンスは紫式部からは感じないの。『源氏物語』の美意識はもう『古今集』の時代にできてるのよ。
紫式部は考える女、清少納言は感覚する女
【杉本】ただ、文章力と大長篇を支える構築力は卓抜している。
【永井】それから思想背景というか、人間観察の深さは、これはやっぱり紫式部にしかない。
【杉本】それはもう紫式部よ。彼女は考える女、清少納言は感覚する女。
【永井】『源氏物語』というのは、一種の哲学小説だと思って読めばいいと思う。決して源氏の栄燿栄華を書こうとしたのではないわね。
【杉本】栄華どころか、むしろ摂関体制が斜陽に向っていくであろう未来を予見して、翳りというか、おののきのようなものを、紫式部は本能的に感じ取っているわね。
【永井】把握しているわね。
【杉本】そして、そういう時代に生きなければならなかった人間の重圧感、拘束感を漠と感じていた人よね。
【永井】そうね。
【杉本】それが『源氏物語』に反映してあの作品の魅力にもなっている。