もともと勝気だった性格が変わっていった
【永井】私は、それは彼女の教養だと思うのよ。いわゆる歴史を見る眼というよりも仏教的な末法思想。当時はそういう考え方がどんどん出てきている時代ですから、それをいち早く感じ取って書いている。たとえば、戦後エグジステンシャリズムが流行ったときに、サルトルばりの実存主義小説を書いたような感じで、末法思想の影響を深く受けているなあ、という感じがありますね。
【杉本】性格の差もあるわね。清少納言との……。
【永井】うん。でも、若いときの紫式部ってわりと勝気みたいね。
【杉本】そう。小娘のころは生意気ね。けれども、母親が早く死んで、学者肌の父親だけのうすぐらい家の雰囲気とか、いい相談相手だった姉さんとの死別とか、出来のよくない弟といった家族構成から生まれる家庭環境。それらが彼女の性格を後天的に作りあげたと思うし、さらには幸せとはいえない結婚もね。当時とすれば晩婚だし……。
【永井】夫がまたすぐ死んじゃう。
愉快な父親に育てられた清少納言との差
【杉本】そう。四十男と結婚したけど、すぐ死なれてしまった。そうした半生から培われた性格もあると思うわ。内向的な、哲学的にものを感じていく方向に育つ……。
ところが、清少納言のお父さんというのは『今昔物語』に「元輔は人笑わするを役とする翁」と書かれた人物でしょ。賀茂祭の勅使に選ばれて都大路を行進中、馬がつまずいて落馬した拍子に冠を落としてしまった。頭にテカテカ夕日が当る。みんながドッと笑ったら、冠を落とした人々の先例を滔々と述べたて、ますます沿道の見物を笑わせた。
つまり失敗をユーモアに変えてしまうウィットの持ちぬしなのね。お父さんからしてそういう愉快な人ですから、清少納言の育った家は、おそらく笑い声の絶えない朗らかな家庭だったと思うのね。定子中宮のおそばへ上っても、ゲームなど始まればすぐ音頭をとって、出しゃばりに見られようと何であろうと清少納言ははしゃぐタイプだったのではないかな。
【永井】ユーモアがわかるっていうのも一種の洗練なのよね。