貧乏に生まれたのは「その人自身の罪」
【杉本】首までズッポリ事件の渦中に入り過ぎているということもあるね。政治の流れの中で一度つき放して、中関白家を襲った不祥事を客観視する冷静さが持てない。
【永井】後の『大鏡』になると、中関白家が実にだらしなく没落していく様子を、かなりあからさまに書くんですけど、そこまで客観化できない。
【杉本】清少納言は、下司の家に月光が差し込んでもけしからんとか、下司の家に雪が降るのも身の程を知らないとか、(笑)すごい傲慢だと思われがちだけど、あれは彼女一流の美意識なのよね。
【永井】私、彼女はそんなに傲慢だとは思わないわ。
【杉本】貧しいことは醜く、醜いことは汚い、汚いことは嫌ですという三段論法的美意識……。(笑)
それと、もう一つ大事なのは、人間の平等だの基本的人権を尊重するなどといった近代的な考えがなかった時代だということ。だから貧者や弱者にひどい言葉を浴びせているのを、現代風にすぐ差別だ傲慢だと取るのはまちがいなのよね。そもそも貧しい階層や弱者に生まれついたのが、その人自身の罪、前世の報いというわけだから……。
すべて“宿業”論で律すれば、天子は前世での十善の結果、王家に生まれたのだし、富者や権力者は「積善の家に余慶あり」ということになる。
平安朝人が重んじた独自の美意識
【永井】そう。自分が受領層の娘でいながら、受領になりたい、なりたいって騒ぐ連中を笑うのは、いかにも自分は上の階層になったように考えている、浅薄な女だという説があるけど、そうじゃないのね。
【杉本】そうなの。たとえば貧乏といっても、では貧乏は彼女にとってすべて醜いかというと、そうじゃなくて、貧しくても清やかに生きている人は美しい。反対に、富んだ受領の北の方でも、成金ぶりをひけらかしダイヤモンドだ毛皮だと着飾っているのは醜いのよ。
清少納言に限らず、おしなべて平安朝人は彼らなりの美意識を重んじたのね。人の評価にしろ物の評価にしろ、平安朝ならではの美の基準があって、それに適っているか、外れているかを重視したわね。