なぜ松尾芭蕉は「俳聖」と称されるのか。生物学者で歌人の稲垣栄洋さんは「それまでの常識から外れ、彼が感じたままの情景を描いた。これは俳句界における革命だった」という――。(第1回)

※本稿は、稲垣栄洋『古池に飛びこんだのはなにガエル?』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。

カエル
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「日本で最も知られている俳句」にある斬新さ

古池や 蛙飛びこむ 水の音 松尾芭蕉

小学生が最初に覚える俳句は、この俳句ではないだろうか。

小さな子でも知っているこの俳句は、日本人にもっとも知られている俳句と言えるだろう。

この俳句の意味については、もはや、どんな説明も不要だろう。

この俳句のすごいところは、とにもかくにもわかりやすいということだ。

誰でもすぐに覚えられるし、説明されなくても意味がわかる。誰にでも、すぐに作れそうなくらいに簡単だから、小学生くらいでも、パロディの俳句を作ってみたりする。

しかし、松尾芭蕉の時代、この俳句はとても斬新だった。何しろ当時は、「蛙」と言えば、「山吹の花」がセットだと考えられていたのだ。

実際に、芭蕉の門人は、この歌を「山吹や蛙飛びこむ水の音」と提案したらしい。しかし、松尾芭蕉は、これを「古池」という風流でもなんでもない平凡な言葉に変えたのである。

たとえば、サンタクロースと言えば、トナカイである。しかし、芭蕉に言わせれば、「トナカイの引くソリなんて実際には見たことはないし、何なら、家の近所ではサンタクロースがピザ屋のバイクに乗っていた」と言うようなものである。

本当は、山吹と蛙の取り合わせなんて、誰も見たことがなかったかも知れない。しかし、蛙と山吹はセットというのが、みんなのイメージだった。しかし、芭蕉は、そんな固定観念をぶち壊し、実際に自分が経験したことを詠んだのである。