古池に飛び込んだカエルの種類

ちなみに、古くから詠われたカエルは、山の清流で美しい声で鳴く「カジカガエル」だった。

そして、「蛙鳴く」という音の風景とともに、鮮やかに黄色い花を咲かせる山吹の花を併せて詠むのが慣習だったのである。

しかし、芭蕉は美しく鳴くカジカではなく、裏の池にいる別のカエルを詠んだ。そして雅な空想の世界ではなく、日常的な現実を詠んだのである。

これは、まさに、革命である。

ところで……この俳句には、謎とされていることがある。

古池に飛び込んだカエルは、いったい何ガエルなのだろうか?

一説には、このカエルはツチガエルであると言われている。

ツチガエルは、ふだんは陸にいるが、危機を察知すると、水の中に飛び込む性質がある。そのため、この句に詠まれたカエルはツチガエルであるとされているのである。ツチガエルは水に飛び込むと水底の泥の中に隠れてしまう。そのため、水音に気づいて、池を見たときには、もうカエルの姿を見ることはできない。

芭蕉が詠んだのはカエルではない

ツチガエルは、俗にイボガエルと呼ばれているカエルである。

古来、詩歌の世界で「カエル」と言えば、何の疑いもなくカジカガエルを詠むのが常識だった。ところが松尾芭蕉は、あろうことか古い池とツチガエルを俳句にしたのだ。これは、当時は、とても画期的なことだったことだろう。

それだけではない。

松尾芭蕉が詠んだのは、本当にツチガエルだったのだろうか?

松尾芭蕉
松尾芭蕉(画像=森川許六画/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

じつは、この俳句の中にカエルの姿は登場しない。詠まれているのは、「水の音」だ。

松尾芭蕉は、目に見えたものではなく、耳に聞こえた音を詠んだのである。

しかしおそらくは、松尾芭蕉が伝えたかったものは、「水の音」でもないだろう。

「ポチャン」というカエルが飛び込む音。カエルが飛び込む程度の音だから、きっとかすかな音である。

そんなかすかな音が聞こえてくるくらい、辺りは静まりかえっている。そして、カエルが飛び込んだ後には、何も聞こえずに、静寂だけが残っている。

芭蕉が詠んだのは、この音のない「静けさ」だったのだ。