春の季語になったワケ
どうして、蛙は春の季語となったのだろう。
話は一万年以上前の昔にさかのぼる。
氷河期と呼ばれる時代には、地球上の水の多くが氷となって、海水面が低下した。
そのため、日本列島と大陸とが地続きになったのである。
このときに、さまざまな生物たちが、大陸から日本列島へとやってきた。ナウマンゾウなどのゾウの仲間も日本列島に棲み着いていたころである。
日本人の祖先とされる人たちの多くも、この時代に、大陸からやってきたと考えられている。
そして、おそらくはカエルたちの祖先も大陸から日本にやってきた。
このとき、日本列島は南の九州と北の北海道で大陸とつながっていて、今の日本海は、巨大な湖になっていた。
そのため、カエルたちの祖先は、北の寒い地方からは北海道を経たルートで日本に広がっていった。そして、南の暖かい地方からは九州を経たルートで日本に広がっていったのである。
やがて、日本にやってきたカエルたちに、事件が起こった。
日本に稲作が伝来したのである。
稲作が伝来した日本では、米作りのために、湿地が次々に田んぼに変えられていった。そして、湿地に棲んでいたカエルたちもまた、田んぼに生息するようになったのである。
田植えの前に脱出する
稲作の伝来は日本の風景を一変させたが、湿地と田んぼは似たような環境だから、もしかするとカエルたちにとっては、それほど大変な変化ではなかったかも知れない。
しかし、湿地と田んぼには、決定的な違いがある。
田んぼでは、土を耕して、イネの苗を植える「田植え」が行なわれるのである。
カエルの子どもはオタマジャクシである。田植えの作業はオタマジャクシたちにとっては一大事だ。
そのため、カエルたちは、オタマジャクシの時期が田植えの時期に重ならないように、適応する必要に迫られたのだ。
アマガエルやトノサマガエルなど暖かい地域からやってきたカエルは、田植えが終わってから卵を産む作戦を選んだ。
一方、寒い地域からやってきたカエルたちは、冬の終わりから春の初めの寒い時期に卵を産み、田植えが始まるまでにオタマジャクシからカエルになって田んぼから脱出する作戦を選んだ。アカガエルが、そんなカエルの代表である。
今ではすっかり珍しくなってしまったが、アカガエルやシュレーゲルアオガエルなど、春のカエルの大合唱を聞くことがある。おそらく江戸時代には、春にも田んぼにはカエルの声が聞こえていたことだろう。
そして、冬眠から覚めたカエルたちの声は、季節の訪れを感じさせる風物詩として、春の季語となったのである。