著書執筆のためにせめて半年程度は延命したかった

保険治療だけでがんに打ち勝った人はたくさんいる。だから、個人的には健康保険の範囲内での治療を勧めている。

ただ、私はオプジーボを使った保険診療に加えて、自由診療を併用することに決めた。それは少なくとも半年程度の延命がしたかったからだ。

東京の病院への2週間の入院を決断したときの最大の動機は、9割方書き上げていた『書いてはいけない』の原稿を完成させることだけだった。

幸運なことに入院後の厳格な医療管理によって体調が回復し、思考能力と言語能力を取り戻すことができた。そして、IT技術者をしている次男が、私が口述筆記した録音のテキスト化を手伝ってくれたこともあり、書籍の原稿は無事完成した。

ラジオリスナーからの猛烈なラブコール

それで当面の目標が達成され、あとはゆっくりと標準治療の範囲内でがんと向き合おうと思ったのだが、事態はそう簡単には進まなかった。

ひとつはラジオリスナーからの猛烈なラブコールだった。

私はいま6本のラジオのレギュラー番組を持っていて、入院中も病室から生放送を続けていたのだが、ラジオのリスナーは家族のような存在で「早くスタジオに戻ってきて、出演を継続してほしい」とのメッセージがたくさん寄せられたのだ。

また、ニッポン放送は私が快復したら、「モリタク歌謡祭」というイベントを開催してくれるという。「歌謡祭のチケット、2枚予約します」というリスナーさんからのメールは心に響いた。

「歌謡祭のチケット、2枚予約します」というメールは心に響いた
写真=iStock.com/PeopleImages
「歌謡祭のチケット、2枚予約します」というメールは心に響いた(※写真はイメージです)

もうひとつは、教鞭を取っている獨協大学の1年生のゼミ生の扱いだった。

獨協大学では1年生の秋にゼミ生の選抜をし、2年生の春からゼミの授業が始まる。

すでに1年生の選考は終了しているのだが、まだ一度も授業をしていない。頑張って集中的なトレーニングをすれば、最短半年で「モリタクイズム」を伝えることはできる。

だから、4月から9月までの半年間は生きていたいと思った。それがゼミの新入生に対する責任だと考えたのだ。

もちろん、彼らが卒業する3年後まで生き残ることが理想だが、もともと私のゼミは年次の壁を取り払って、上級生が下級生を指導する体制を作っていたので、そこまでが必須というわけではない。とりあえず半年生き残ることが最優先なのだ。