問題行動で迷惑をかける割合は1割未満

認知症になったら一人では何もできなくなって、周りに迷惑をかける。支離滅裂なことを言って、徘徊したり失禁したり、と恥をさらして生きていくことになる。そんなふうに思い込んでいる人がどれほど多いか。

この思い込みが、認知症になるくらいなら死んだほうがマシ、安楽死で死なせてください、という発言に結びつくわけです。

ベッドに横たわる高齢女性
写真=iStock.com/ururu
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認知症の本当の症状や特徴を知らないことが、この病気に対する恐れを増幅させているとも言えます。繰り返しますが、認知症は老化現象の一つですから基本的にはおとなしくなります。だから、それほど迷惑をかけることはありません。

たしかに末期になると失禁や会話ができなくなって周囲の世話にはなりますが、問題行動で迷惑をかけるのはせいぜい5%程度、あっても1割に満たないくらいです。

そもそも迷惑をかけている人は、生きている価値がないのでしょうか。赤ん坊は言葉もわからないし、排泄や食事の世話もすべて大人にやってもらっていますが、邪魔だとか殺せとかいう話にはならないでしょう。なぜ、赤ん坊はよくて、お年寄りはいけないのか。

しかも、お年寄りは、それまでずーっと働いて、納税して社会に貢献してきているわけです。

拙著『どうせ死ぬんだから』でも述べましたが、だれもが社会に「貸しをつくる」生き方をしてきたのですから、人生の終盤は、正々堂々と社会に貸しを返してもらうつもりで迷惑をかければいい。私はそう考えています。

認知症への理解が進まないために、安楽死、つまりは殺してほしいなどと恐れられる病気と思われ、それが高齢者差別のベースとなっているのが、私は残念でなりません。

誤解を生んだ大学教授とマスコミ

2016年以降、高齢ドライバーによる事故が、ニュースやワイドショーで毎日のように取り上げられ、社会問題化しました。それを受けて翌年から、75歳以上の高齢者が運転免許を更新する際に認知症と診断されたら、運転免許を取り消されることになりました。

これまでも私が著書や雑誌のインタビュー、講演会、SNSなどでしつこく発信してきましたが、こんなおかしな話はありません。

この道路交通法を定めるにあたって、認知症の患者さんをろくに診ていないような大学医学部教授たちがアドバイザーになり、世間の認知症のイメージくらいしか知らない官僚が、法律の文面を考えたとしか思えません。

つまり、私たちみたいに認知症の患者さんをずっと診てきた者であれば、認知症は軽いうちであれば楽勝で運転ができるとわかっています。

私たちからすると、「認知症が一定以上進み、運転に支障をきたすようになったら免許を失効する」というのが正しい文章であって、認知症と診断されたら免許を失効するというのは認知症の本質をまったくわかっていない。

そんな法律をつくったことについて国会議員も誰一人として反対しない。本当に危ないのかどうかの実態調査や統計学的な調査もまったくしないで、免許を取り上げるというのは、認知症の人に対する差別でしかありません。