「日本人」の評価を貶めているかもしれない

でも、これこそ日本のメディアが日常的に、異国の地でやっていることなのだ。そして、それは個々の記者の問題ではなく、そういうことを当然としてきた日本のマスコミ界全体の問題だろう。

自分たちが欲する情報やコメントを得るためには何をしてもかまわない、というメディアの傲慢さ、特権意識が垣間見える。異国の地でも「日本人村」を運営し、現地のルールではなくムラのルールに従って行動する。あまりにも自国中心的であり、身勝手だと感じざるを得ない。

内野宗治『大谷翔平の社会学』(扶桑社)
内野宗治『大谷翔平の社会学』(扶桑社)

僕らが今日、大谷の活躍に一喜一憂できるのは、日本のメディア関係者が時に「岩によじ登って」でも大谷の一挙手一投足を追いかけ、その詳細を日々伝えてくれるからだ。メディアが伝える大谷の姿を見ていると、彼の存在が「日本人」の国際的な価値を高めてくれているようにさえ感じる。

しかし、その舞台裏ではもしかすると、大谷を取り巻く日本のマスコミ関係者が白い目で見られているのかもしれない。最悪の場合、彼らの身勝手な行動が「日本人」の国際的な評価を貶めてさえいるかもしれない。

国際社会に生きる僕らは、その可能性に対してもう少し意識的になってもいいのではないだろうか?

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