論理の人
日本で74年ぶりに生まれた独立の生命保険会社、ライフネット生命。本書は創業経営者である出口治明さんが記録したライフネットの創業にまつわる物語だ。出口さんは、日本生命で40年近く勤務をしたのち、一線を退く。いったん引退してからベンチャーを始めた氏は「還暦の起業家」として話題になった。ご存知の読者も多いだろう。
ゼロからの起業物語であるにもかかわらず、終始淡々と話が展開していく。ドラマティックな場面は出てこない。面白おかしい話もない。そこがたまらなく面白い。
僕はライフネット生命を、素晴らしことをやっている(やろうとしている)会社だと高く評価している。ただし、この稿では会社よりも、どちらかというと出口治明という人物に焦点を当てて話を進める。目上の方に対してこういうことを言うのも僭越な話だが、出口さんという人は本当にコクがある。経営者としてはもちろん、人間として興味深い。本書の記述のどこをとっても、出口さんの人柄と人格が如実に表れている。黒澤明が生きていたら、出口さんを主人公に一本映画を撮ってもらいたい。そう思わせるほど、出口さんという人物の味わいには余人をもって代え難いものがある。
ライフネット生命の創業ビジョンはシンプル極まりない。
(1)保険料を半額にしたい
(2)保険金の不払いをゼロにしたい
(3)(生命保険商品の)比較情報を発展させたい
この3つだけ。いずれもきわめて具体的で平明なビジョンである。この3つのビジョンを立てた出口さんは、論理必然的に「独立系の生命保険会社をつくるほかはない」という結論に到達した。それでできたのがライフネットという新しい生命保険会社だった。そして、出口さんはこのビジョンに忠実に会社を創り、戦略を立て、実行していく。本書の内容を要約すると、これに尽きる。短くない本がツイッターの140字で要約できる。いたってシンプルな話である。
出口さんは論理の人だ。骨太で素直な論理で会社を創り、動かしている。基軸にあるのが論理だから話が早い。誰もが無理なく納得できる。出口さんは「論理必然的に」起業している。「どうしてもやりたいから」とか「戦後初の挑戦」といったモチベーションがあったわけではない。「どう考えてもこうあるほかはないから」ということでできたのがネット専業のベンチャー生保だった。
保険会社を1からつくるのであれば、アクチュアリー(保険会社で保険料率の算出などを業務とする専門職)や医師の派遣、事務システム構築のノウハウなどの面で、既存の保険会社を親会社として資本参加を受けた方が、事業の立ち上げが容易かつ早くなる。コストやスピードの点でより「正しい」選択だろう。しかし、これは出口さんが創ろうと思った会社のビジョンからすれば「論理的」ではない。生保の親会社から出資を受けたとする。「保険料を半額にしたい」とか、「これからは付加保険料を開示したい」などと提案しようものなら、株主やそこから送り込まれるであろう経営陣から反対されることは間違いない。ビジョンの実現は遠のく。だから独立系しかない。いたって論理的だ。
すでに長いキャリアと豊かな人脈がある人が起業する場合、かつての同僚のなかから気心が知れた優秀な人を引き抜いて創業のパートナーとするのが普通だ。しかし、あくまでも論理的な出口さんは、こうしたことも一切やらなかった。「もしパートナーが生命保険に習熟した人間であれば、きっと生命保険の常識が邪魔をして大きな飛躍は望むべくもない」という論理だ。
ライフネット生命は当初から上場を目標にしていたが(2012年3月上場)、これも論理的な筋論から決めたことだった。生命保険業が公共性の高い事業である以上、日々の経営が株価という形で評価され、市場から厳しくチェックされる形が望ましい。しかし、こうした明確な意図がありながらも、生保の事業は公共性が高いという同じ理由で、上場目標年度は出資契約には盛り込まなかった。上場のために無理をすれば、公共性の高いはずの事業経営が脆弱になり、本末転倒になるからだ。
まったくもって辻褄の合う話であり、言われてみれば当たり前。しかし、これと逆の「没論理」が世の中には横行している。分かりやすい達成感を得たいがためにとにかく上場を目指す。お金を出してくれるベンチャーキャピタルの手前、上場目標年度を出資契約に盛り込んでしまう。そこには小理屈はあるかもしれないが、論理はない。出口さんの場合はこの真逆で、あらゆる判断がいちいち熟慮したロジックに支えられている。だから、時と場合によっては一見遠回りをすることになる。しかし、論理は裏切らない。素直でしっかりとした論理で一貫したことをやっていれば、いずれ「急がば回れ」ということになる。出口さんは論理を信じている経営者だ。