「アタマがいい」とはどういうことか

知的能力とは何か。「あの人はアタマがいい」というとき、ようするに何をもってアタマがいいといっているのか。記憶力が抜群だとか、難しい数学の問題が解けるとか、ありとあらゆることを知っている(知識の範囲と量)とか、普通の人が知らない専門的なことを知っている(知識の希少性)とか、人によってさまざまだろう。

一橋大学大学院
国際企業戦略研究科教授

楠木 建
1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

「アタマを動かす」とはどういうことか。言うまでもなく、知的能力の基準は知的活動の定義に依存している。知的活動とは、ようするに「抽象と具体の振幅」だと僕は考えている。だとすれば、「抽象と具体を行ったり来たりする振幅が広く、頻度が高く、スピードが速いこと」、これがアタマのよさの基準ということになる。

たとえば仕事がデキる人を指して「あの人は地アタマがいい」などと言う。こういう場合の「地アタマのよさ」は、抽象と具体の往復の幅広さと頻度とスピードを指していることが多いと思う。仕事は常に具体的なものである。具体的な成果が出なければ仕事にならない。だから最終的には絶対に具体的なものに落とし込まれる。しかし、具体の地平を右往左往するだけでは、作業をしているだけで、アタマを使って仕事をしていることにはならない。具体をいったん抽象化して、抽象化によって本質をつかみ、そこから得られた洞察を再び具体的なモノなり活動に反映していく。これが「アタマを使って仕事をする」ということだ。

手を動かすだけでは、普通のレベルを大きく超える仕事の成果は期待できない。アタマを使うということは、どんな仕事でも必要になる。しかし、世の中には抽象と具体との往復活動を絶対的に必要とする仕事がある。その典型が建築家だ。建築家は芸術家(たとえば美術家)とは異なる。いずれも創作活動であることには違いないが、絵画と比べて建築には飛躍的に高いレベルの具体性が要求される。

建築には窓がある。これが絵画や彫刻と建築の決定的な違いである。人間や生活との関わりがはるかに具体の次元で求められる。(よっぽどの例外は別にして)建築物には人が入る。したがってモノとしても大きい。人目につく。世の中にきちんとした居場所を得なければ建築は成り立たない。美しさや創造性だけではない。安全性や機能性、耐久性が高い水準で求められる。いずれもきわめて具体的な次元にある問題ばかりだ。

しかし、単に機能的によく出来た家をつくるだけであれば、近所の工務店に頼めば手に入る。わざわざ建築家に依頼する人は、工学的な機能の背後にある、その建築家ならではの抽象概念に対して対価を払っているわけだ。その一方で、抽象だけでは建築にならない。さまざまな物理的、経済的、制度的な制約を乗り越えて、抽象概念を具体的な地平で形にしなければ建築家の仕事は務まらない。そして、結果的に生まれる建築物は、その細部の1つひとつまで、その建築家の構想した抽象概念の表出形態に他ならない。この意味で建築とは抽象概念の象徴作用であり、抽象と具体の往復運動を絶対的に必要とする分野であるといえる。

抽象と具体の往復運動において最強の人だと僕がひそかに認定しているのが隈研吾さんだ。日本を代表する建築家だけあって、隈さんには今回とりあげる『10宅論』(氏が32歳のときに出版した書籍処女作)のほかにも、『自然な建築』、『負ける建築』など、数多くの優れた著作がある。

たとえば、最近出版された『場所原論』。隈さんの抽象と具体の往復運動のダイナミックさを存分に味わえる本だ。この本は「3.11」という極めて切迫した具体的状況での問題意識が起点となっている。本の扉の裏面には、津波であらゆる建築物が流されてしまったあとの瓦礫に覆われた地面に隈さんがぽつんと立っている写真が掲載されている。そこには隈さんのこんなメッセージが添えられている。

「確かに津波はすべてを流し去りました。驚くべき破壊力を目の当たりにして、血の気が引く思いでした。しかし、それでもなお、いや何もないからこそなおさら、そこには何かが残っていることを感じました。場所というもの、そこに蓄積された時間と思いというものは、決して流れ去ることのできるものではありません。」

ここで彼が言う「場所」とは、landという意味での物理的な場所ではない。その地で暮らした人やそこを訪れた人の「時間や思い」といった「文脈」(コンテクスト)を意味している。近代化、合理化、都市化の過程で、それぞれの「場所」と密接に結びついた建築が、鉄やコンクリートを使った「強い建築」にどんどん代替されていった。しかし、2011年の東日本大震災は、強い建築の「弱さ」を露呈するものであった。隈さんは脆くも流れ去った「強い建築」の残骸を目にして、こう言っている。

「『強い建築』などということ自体、すでに無意味であり、滑稽ですらあったのです。そこに物理的に同じ形で存在し続けることと、本当の強さとは無関係ではないか、そんな疑問が、多くの人々の心の中に芽ばえたのです。」

近代化によって切り離された場所と人間を再び結びつける「小さな場所」の復活。「小さな場所」への回帰。これが隈さんの仕事の起点にあるコンセプトになっている。といっても彼が「小さな場所」の力を再発見したのは、東日本大震災がきっかけではない。さらに遡ること20年、1990年代前半にバブルがはじけたとき、東京での設計の仕事がほぼ10年間に渡って途絶えてしまったという。その結果、地方の小さな建物を地元の職人たちとともに作る機会が増えた。そのときに「小さな場所」の底知れない豊かさや暖かさを実感したという。

地方での小さな仕事をするにあたって、隈さんは自分の仕事に2つのルールを課した。1つは「小さな場所」における材料、技術、職人を大切にするということ。もう1つは建築にできるだけ「小さなエレメント」を使うということ。固まると大きな塊になってしまうコンクリート。これは「大きなエレメント」の最たるものだ。これに対して、木やレンガといった「小さなエレメント」は人間の手で組み上げることのできる建材である。コンクリートは一度固まってしまうと分解することができない。小さなエレメントであれば、容易に分解することも可能である。大きなエレメントはこうした意味で不可逆的だが、小さなエレメントは可逆的で可塑的。コンクリートがトップダウンの建材だとしたら、木やレンガはボトムアップの民主的な建材といえる。

これはごく一例だが、隈研吾という建築家の思考と仕事のスタイルをよく示している。バブル崩壊や3.11という具体的な状況を受けて、「場所主義」とか「小さな場所」、「小さなエレメント」という具合に、目に見える具体的な事象をどんどん自分のアタマで抽象化していく。しかも、建築家である以上、抽象化だけでは終わらない。ひとたび抽象概念が構想すると、そこから急降下するように超具体的なモノを建築としてつくり上げる。

著書を読むと如実に分かるのだが、著者のすごさは、具体から抽象に振り切って出てくるコンセプトを誰にでもわかる言葉で説明できるところだ。さらに、そのコンセプトが結果としてつくられる建築物のどこにどのように表出されているのか、その辺を言語的に説明する力がずば抜けている。抽象化とはすなわち言語化だ。建築家に限らず、創造的な仕事をしている人は、往々にして言語化能力が非常に発達している。抽象化という切り口で見れば、創造と言語化能力の間には太くて深いつながりがあることが分かる。