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駅舎とローマの大浴場

『10宅論』の冒頭に近い部分でこういう話がある。「ローマの大浴場がモデルとなって、近世の大規模な駅舎空間が発明された。ワンルームマンションのモデルとなったのはホテルの客室、それもビジネスホテルクラスの狭小な客室である」。

一橋大学大学院
国際企業戦略研究科教授

楠木 建

1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。日本語の著書に、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)、監訳書に『イノベーション5つの原則』(カーティス・R・カールソン他著、ダイヤモンド社) などがある。©Takaharu Shibuya

ローマの大浴場の用途を転換することで駅舎という建築物が生まれる。このことは建築における創造が具体と抽象の往復運動から生まれるということを如実に物語っている。前提として、ローマの大浴場やホテルの客室というきわめて具体的な実体がある。その本質は何なのかを突き詰めると、「大勢の人が日常的に繰り返し集まる場所」とか「浮遊した状態にある人のテンポラリーな場所」といった抽象概念に至る。こうした概念が具体化されて、駅舎やワンルームマンションといった「新しい建築物」が生まれる。

ある文脈に埋め込まれていた具象を、その文脈からいったん引き剥がし、それを新しい文脈に位置づける。ようするに、これが創造という営みであり、創造のプロセスである。このプロセスでいう「引き剥がし」が抽象化に相当する。

建築における創造のプロセスが具体と抽象の往復運動だとすれば、具体的な事象を抽象概念へと引き上げる力、抽象を具体へと引き下ろす力、いずれも必要となる。2つの力の循環運動なので「ニワトリとタマゴ」といえばそれまでだが、一般的にはモノを上げるほうが下すよりも大変になる。具体を抽象概念に引っ張り上げる。これがなければ具体へと降ろすこともできない。素人ながら、「いい建築家」というのはとりわけこの「引っ張り上げる力」が強い人たちなのではないかというのが僕の仮説だ。

「ある空間の用途の変更を称して、われわれは空間の発明と呼んでいる」と著者は断言する。だから建築空間の創造に「完全な独創」というものはありえない。これは非常に重要な論点だ。ビジネスにおいても同じだと思う。完全に独創的なビジネスモデルや戦略など存在しない。どんな商売も生身の人間を相手にしている以上、どんなに独創的な「戦略のイノベーション」も「言われてみれば当たり前」ということになる。

建築にも「普通の人間の日常的な営み」という枠組みから外には出られないという制約がある。ここが絵画芸術とは異なる。絵画であれば、やろうと思えば抽象に振り切ることができる。だから、同時代ではまったく評価されず、理解されなかった画家が300年後に再評価されるということはあり得る。しかし、建築の芸術性はそういう性質のものではない。この点で戦略と建築は似ている。