「当たり前」大作戦
ライフネットの戦略はきわめて合理的に出来ている。誤解を恐れずにいえば、ごくごく「当たり前」で「面白くない」戦略だ。
「保険料を半額にする」という第1ビジョンとの兼ね合いで、まずは主戦場を「20代、30代、40代の子育て世代を対象とする死亡保険」に決める。出口さんいわく、「保険の一義的な価値というのは、若い世代が安心して、子どもを産んで、育てるということにしかない」。この「しかない」がポイントだ。
近代的生命保険の創始者とされるのは、イギリスのオールド・エクイタブルのジェームズ・ドットソン。出口さんは考えた。もしドットソンがタイムスリップして、いまの日本に来て、売り出されているさまざまな生命保険商品をみたら何と思うだろうか。「私が世のため人のためを思って考案した生命保険が、こんな奇妙な商品に変質してしまったのか……」と嘆くだろう、と。つまり、それだけ生命保険というものが複雑極まりない、いったい誰にとってどういうメリットがあるのかがわからない商品に成り果てていたということだ。
そこでライフネット生命は、仮にドットソンがみても、「これぞ生命保険」と太鼓判を押してもらえるような、設計がシンプルで価値が明確な商品を目指した。最初は子育て世代に掛け捨ての死亡保険を主軸にする。定期死亡保険の保証内容は死亡時の保険金支払いに限定する。特約は全廃。解約返還金や配当もない。給付金一本に絞る。保険料の支払方法も銀行等の口座振替とクレジットカードに限定する。このようなシンプルな商品設計であれば、当然ネットでも販売しやすい。事務管理のコストも販売手数料も下がる。
ようするに「必要最小限」であること。これが出口さんの考える「いい保険」の条件だ。日本生命にいたころから、どんな保険に入ればいいかと聞かれたら、出口さんは「死亡保険の目安は1人なら年収の1年分、2人なら年収の3年分(正社員共働きなら年収1年分)。子どもが生まれたら子ども1人につき1000万円。勤務先にBグループ保険があればそれに入り、なければ期間10年の掛け捨て型の定期死亡保険がいい」とアドバイスしていた。ライフネット生命の主力商品「かぞくへの保険」は「Bグループ保険のバラ売り」を目指したものだ。出口さんが日生時代からアドバイスしていた通りの内容になっている。
余計なフリルをそぎ落とした「わかりやすくて、安くて、便利」な保険は、これまでありそうでなかった。もっと正確にいえば、「あるべきなのになかった」。だからライフネットは新しい市場を開拓することになった。ライフネットの加入者の6割が新規・追加加入で、見直し(乗り換え)ではない。乗り換えであれば国民経済から見ると同じ業態内部の移転にすぎず、本質的な付加価値を生み出していないという批判もあり得る。これに対して出口さんは、保険料半額という著級勝負の戦略で新規加入・追加加入市場を開拓し、そうではないことを証明してみせた。
乗り換えでライフネット生命に加入したとしても、保険料を月平均約7000円節約できる。豊かで文化的な生活をするためには、映画を見たり、旅行をしたり、外食をしたり、本を読んだりするためのお金もいる。出口さんは、この7000円分を、そうした生活を豊かにするための消費に充てて欲しいと願っている。保険料を半額にすることで、いままで保険に入れなかった人や入らなかった人の市場が拓け、さらに、節約した保険料が別のものの消費を活性化する。
「保険金の不払いをゼロにしたい」と第2のビジョンを具現化するために出口さんがまず取り組んだのは、支払管理の起点となる支払事由を極力シンプルにすることだった。支払事由とは、どんな時に保険金や給付金が支払われるかという条件のこと。たとえば終身医療保険の場合、ネットライフは「1泊以上の入院」「1泊以上の入院を必要とする手術」に限定した。手術の定義も国の健康保険制度に合わせた。既存の生命保険会社は、たとえば手術を88分類して列挙していて、手術ことに異なる給付金額を設定していた。このため非常に複雑な審査、手続きが必要となった。必然的に「給付の対象となる手術に該当するか」で揉める事態が頻発した。ライフネット生命では、手術の定義を明確にし、給付金も一律にすることでグレーゾーンをなくし、不払いのおそれを限りなくゼロに近づけている。
ライフネット生命の戦略は「何をしないか」というトレードオフがはっきりしている。「変額保険はやらない」「生存保険はやらない」「セールスパーソンや代理店は使わない」「特約はやらない」。その意味でも、戦略の王道を行っている。競争戦略論の生みの親であるマイケル・ポーターさんが30年以上前から言っていることだ。教科書通りの明確な戦略だが、当たり前といえば当たり前。面白くないといえば面白くない。