藤原定家の父で、第七番目の勅撰和歌集『千載和歌集』撰者の俊成は、

恋せずば人は心もなからまし 物のあはれもこれよりぞ知る
(恋をしなかったら、その人は心がないようなもの。物事のしみじみとした情趣は恋というもので知る。そこから秀歌は生まれるのだ)
藤原俊成(『長秋詠藻』)

と、恋愛讃歌を高々と掲げ、「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり(『源氏物語』を読んでいない歌人は残念である)」(「六百番歌合」の評言)と、恋する人たちの例歌を『源氏物語』に求めたのである。

女性の浮気も勅撰和歌集のテーマに

女の浮気を表す言葉に「密か男する」がある。妻の密か男を知った時、男はどうするだろうか。

言葉激しくなじる、暴力を振るう、黙って女の許に通わなくなる等々。ある男はさすがに王朝貴族、言葉荒く詰問することはせずに、エレガントに事情を尋ねたが、女は黙秘権を行使した。しばらく黙していた男は苦渋に満ちた顔で歌った。

忘れなんと思ふ心の付くからに ことの葉さへや言へば忌々しき 
(貴女は私のことを忘れてしまおうと思ったので、今の事情を口に出して話をすることさえも、禁じるべきこととお考えか)
よみ人知らず(『後撰和歌集』雑二)

とつぶやいたが、密か男した妻の返しの歌はない。沈黙のまま時間は経過する。密か事、密通の淀みに耐えかねる重苦しさ。姦通、不倫がいかに苦悩に満ちたものであるかが歌い込まれている。

エレガントなこの男とは反対に、一晩中詰問した男もいる。

「妻の密か男したりけるを見つけて」と詞書にあるから、密通現場を見てしまったのだ。これでは夫としては、たまらない。エレガントになどと心を落ち着かせる余裕もなく、一晩中問い詰めて、翌朝歌った。

今はとてき果てられし身なれども 霧立ち人をえやは忘るる 
(すっかり飽きられて今日でお別れと宣告された我が身だけれど、霧が立つ彼方に去って行く貴女を、どうして忘れることができようぞ)
よみ人知らず(『後撰和歌集』雑四)
京都・東山地区の町並みと東寺の五重塔
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言い訳を和歌でエレガントに伝える

妻は正妻として夫の家に同居していたのだ。夫は妻を心から愛していた。時は神無月(十月)で、旧暦では冬の始まりの月。だから、第二句の「飽き果て」に「秋果て」を掛ける。

「秋」の縁語で第四句に「霧立ち」と歌い、「霧立ち人」で霧の彼方に去っていく妻を意味させた。夫は秋の葉に置く露のような涙を浮かべていたに違いない。妻は後悔してくれないだろうか。

平安中期の貴族の生態を極めてリアルに語っている第二代目の勅撰和歌集の『後撰和歌集』には、詞書に「異男」「異女」、両方合わせた「異人」などがある。定まった男、または定まった女、つまり既婚者でありながら、他の男や女と関係を持つ状態である。