愛したいけど、愛せない悲しみ

光源氏の恋の遍歴も並みの恋ではなく、柏木以上に人妻との姦通事件を含む。父桐壺帝の妻であり義母でもある藤壺宮を手始めに、空蝉・朧月夜尚侍などが浮かぶ。藤壺宮との事件は『源氏物語』の核を為し、作者は「あさましかりし事」と表現しており、光源氏は終生罪の意識にさいなまれる。

天皇妃となる予定だった娘朧月夜尚侍を光源氏に犯された父親は、娘を「穢れたり」と怒り、この密か事が遠因で光源氏は須磨・明石に謫居を余儀なくされる。野に臥す虎に噛みつかれたような結果になった。

心の中では男を愛しひかれながら、人妻の身を自覚して拒み続ける悲しさを、実にストレートに表現したのは空蝉だ。

空蝉のに置くつゆ隠れて 偲び偲びに濡るる袖かな
(蝉の羽に置く露のように木陰に隠れて、人目を忍んで光源氏様恋しの涙で濡れる私の袖だわ)
(『源氏物語』第三帖「空蝉」・『伊勢集』)

と、手元の紙に書くのであった。光源氏に愛を求められ自身も心の内で愛しながら、拒絶しなければならない人妻の心奥の悲しみだ。

この歌は、『古今和歌集』時代の代表的な女流歌人伊勢の歌だが、紫式部はそれを借用している。光源氏を心で愛していながらその愛を拒否する人妻空蝉の立場を表すのにぴったりの伊勢の歌を、「空蝉」帖の末尾に置いて締め括るとは、実に適切な使い方ではないか。

帖名の「空蝉」も、この人妻が空蝉と呼ばれているのも、伊勢の歌に基づいている。「空蝉」帖の主題は、この歌に凝縮されているのだ。

京都府京都市の上賀茂神社
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犯罪行為の不倫が、平安貴族の「道徳」になったワケ

人妻と関係を持つことを「密か事」と表現したが、他にも密通を表す言葉は実に多い。嫌らしい文字が「姦通かんつう」。「不義密通」となると封建時代を想起させ、後ろからバッサリ斬られそうである。

ちなみに平安時代にもバッサリはあった。中原師範は妻と密通した高階成棟をバッサリだ。

やや即物的な感のあるのが「情交」。「背徳」「不倫」には罪の影があり、反対に罪の影のまるで感じられないのが「浮気」「よろめき」。その他「内通」「私通」。「情事」となると芸術的雰囲気が漂う。

平安時代は律令制度であるから、姦通罪も規定されている。状況により、二年から二年半の徒刑である。徒刑と断罪されると、首枷をはめられ、夜間は三、四人を紐で繫ぎ、昼間は紐を外して労働させるのだ。

問題はその適用にある。事実上一夫多妻であるから、妻ある男が妻以外の女と関係したからとて姦通にはならず、平安時代になって戸籍制度は事実上消滅し、法律婚ではないので、夫である、妻である、との認定も難しく、有婦有夫間の密か事かどうかもはっきりしない。

「色好み」が貴族の身に備えるべき道徳であれば、一見放埒な社会と見られても、どのような状態が姦通なのかも定め難く、姦通の事実を証明することは非常に困難である。