1976年、プロレスラーのアントニオ猪木は、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとの異種格闘技戦に挑んだ。だが試合は引き分けに終わり、猪木の闘いぶりから「八百長」とも批判された。プロレスラーの藤原喜明さんは「猪木にとって、モハメド・アリ戦は一世一代のギャンブルであり、文字通りの真剣勝負だった」という――。
※本稿は、藤原喜明、佐山聡、前田日明『猪木のためなら死ねる! 最も信頼された弟子が告白するアントニオ猪木の真実』(宝島社)の一部を再編集したものです。
モハメド・アリのギャラは約20億円
世間にプロレスラー、そして自分の強さを認めさせる――。
異種格闘技戦とは、そのために始まったものと言っていい。
猪木は76年に「プロレスとは最強の格闘技である」という大風呂敷を広げ始めた。
ボクシングの現役世界ヘビー級王者モハメド・アリと対戦するという前代未聞の一戦は、当然、実現までの交渉は難航した。
しかし、猪木側はあの手この手で粘り強く交渉し、アリ側が要求する条件をほぼすべて受け入れ、ついに契約締結にたどり着く。
アリのギャラは610万ドル。当時のレートで約20億円。
アリ戦はそれだけのリスクを背負った猪木の執念によって実現に至った。
負ければ、プロレスラーとしての地位は失墜し、会社は潰れ、莫大な借金だけが残るという、猪木一世一代の大ばくちでもあった。
その猪木から最も信頼された弟子、プロレスラーの藤原喜明が「猪木VSアリ戦」について語った。
正真正銘の人生をかけた闘い
国内の試合で印象に残ってるのは、やっぱりアリ戦だよ。正真正銘の人生をかけた闘いだった。
大風呂敷を広げるだけなら誰でもできるけど、実際にアリとやるなんて猪木さんにしかできないことだよ。闘うだけじゃなくて、カネも用意しなきゃいけないだろ。何十億だもんな。
だから最初にアリ戦の話を聞いた時は「まさか⁉」だったよな。
実際に実現するってなっても「お金、大丈夫かよ?」って。当時はまだ新日本が会社として軌道に乗ってなくて、給料が遅れたりするのも普通だったから、「そんな大金をどう用意するんだ?」って思ったし、借金して万が一のことがあったらどうするんだろうと思ったけど、やっちゃうんだよな。